クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

救いを考える(6) 福音理解

 昔からずっと思っていることがあります。それは福音理解です。礼拝で司式をする人の祈りを聞いていて、福音とは罪の赦しいう理解を抱いているんだなと思うことがよくありました。福音を狭く理解していると思いますが、意外と多くの人たちがこのように理解していることを思います。

 罪を犯す自分は罪深いと考えているようです。聖書を読むと、闇から光へ、闇の力からキリストの支配下に移る、それが救いだと書かれていますし、それを宣べ伝えるようにパウロは使徒としての働きに召されました。

 罪を犯すように働きかける力を聖書は語っています。その力の下にある人は罪の支配下にある、罪の奴隷であると聖書は語りますが、現代のクリスチャンは、このような考えを受け入れることがむずかしいのでしょうか。ここには信仰の戦いがあります。そして勝利する喜びがあります。

 パウロが人間を二種類に分け、キリストにつながる人は、このような力から解放されると語っていることは、大切なことだと思います。

 神の御子が、自分を犠牲にして人を罪から救おうとしました。その救いが罪の赦しにとどまるという狭い理解は、御子の犠牲を軽んじているように思います。旧約聖書によれば、イスラエルの人々は動物のいけにえをささげて罪の赦しを得ていました。御子の貴い犠牲は、赦しを越えて、もっと大きな救いへ私たちを導きます。罪からの解放を与えます。このことがもっと宣べ伝えられ、証しされることをいつも祈っています。

 

ニガイチゴ 気の毒な名前