クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

受難節で学んだこと(1)

 今年の受難節は、マタイ福音書26章、27章を少しずつ読み、思いめぐらしました。二つのことを教えられたので2回に分けて紹介します。今日は一回目です。

 イエス・キリストはなぜ十字架の上で死なれたのでしょうか。それは私たち人間の罪の償いのためでした。 

ローマ 3:25
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。

  イエス・キリストを信じる人は、その信仰のゆえに義とされます。神の前に正しい人とされます。 

ローマ 3:28
なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

  旧約聖書には、人が罪を犯した時、罪の赦しを得るために定められた動物をいけにえとしてささげるべきことが神の戒めとして定められています。旧約に登場するイスラエルの民は罪を犯すつど、いけにえをささげました。

 神さまは、イエス・キリストを罪を償うためのいけにえとなさいました。その結果、罪の赦しのためのいけにえは、イエス・キリストのただ1回の犠牲でよいとされました。繰り返し犠牲をささげる必要はなくなりました。ですから私たちはイエス・キリストを信じるなら、過去に犯した罪、今犯す罪、これから犯す罪に対するいけにえをささげる必要はなくなりました。罪を犯した時は、悔い改め神に赦しを求める祈りをささげればよいのです。

 旧約聖書の神さまの掟の中には、人間をいけにえとしてはいけないと書かれています。それなのに神は人となられた御子イエスをいけにえとなさったのです。なぜ神さまは御子をいけにえとなさったのでしょうか。 

 まず思うのは、愛の神さまなら、いけにえをささげるなどという面倒なことはなさらず、愛のゆえに罪の赦しを求める人はすべて赦せばよいのではないかと考えることができます。愛のゆえに、憐れみ深く、恵み深く、赦しを求める者に赦しを与えればよいと考えることができます。しかし神さまはそうはなさいませんでした。

 それどころか、御自分の独り子を十字架の上で罪の償いのいけにえとされました。なぜ、そこまでしなければならないのでしょうか。しかもイエス様は、裁判を受けて死刑に処せられるわけですが、人々のののしり、侮辱を受けられました。大祭司の屋敷での裁判の時はこう書かれています。 

マタイ 26:66~68
人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。 

  それだけでなく、御子イエスを刑場に連れて行くローマの兵士たちによって、さらに十字架につけられたときも、人々から侮辱されつづけました。なぜこのような目に遭わなければならないのかと思います。だれがどう見たって、このように人々からあざけられ、みじめにも十字架にかけられた人が救い主であるとは全然思えません。

 なぜ、御子イエスはみじめな姿、無力な姿をさらさなければならなかったのか。これは神の計画の中に含まれていることなのか。それならそこにはどんな意味があるのだろうかと思いめぐらします。私のために御子イエスは、人々にあざけられ侮辱される中で、十字架で死なれたのです。

 罪を赦すためなら、動物のいけにえでよかったのです。それなのに神の御子がいけにえとなる、しかも人々の嘲りを受けるようなみじめな姿をしていけにえとなるのはなぜなのでしょうか。

 そこで思います。御子イエスといういけにえは罪を償うためのいけにえでしたが、そこにはとてつもない神の恵みが潜んでいると。罪の赦しはもちろんです。それ以上の大いなる神の恵みが隠されています。目が開かれたら見える恵みです。何でしょうか。

 罪と死の支配からの解放です。罪からの再生です。あそこまで御子イエスがみじめな姿をさらし、十字架で死なれた以上、私たちは、罪から解放され、もっと自由に神さまの御前で生きる者にされるはずです。そのことをあらためて思わされたことでした。 

テトス 3:5~7
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。 

 

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