クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

一年の終わりに

 2019年が終わろうとしています。こういう終わりの時を迎えるといつの日か自分の人生の終わりも必ず来ることを思います。それはそれとして、この一年を頭の中で振り返ってみましたが、何があったのか、かなり忘れています。

 そんな中、この一年の私の歩みの中心となったことは、「福音の証人となる」という目標でした。そのために毎日ブログを書くことを課題としました。今年の6月頃にこの目標を与えられました。証しということは、自分の体験を踏まえることを意味します。証人は、自分が見たこと、聞いたことを語る人を指します。

 約半年、何とか書き続けることができました。神さまの導きと信じてうれしく、そして感謝です。書く材料が見つかるのか、不安でしたが、今も不安ですが、不思議と与えられてきました。

 牧師を引退して二年半。この間、機会を与えられていくつかの教会で説教奉仕をしました。礼拝の中で司式者おもに教会の長老の方たちの祈りを聞き、思いが深められたことがあります。それは福音が罪の赦しに限定されて狭く理解されているように感じたことです。罪の赦しの感謝の祈りはささげられますが、義とされ、信仰者を生まれ変わらせ、罪に打ち勝つ力を与え、聖なる者とされていく喜びの感謝の祈りはほとんど聞くことはありませんでした。言い換えるなら、礼拝で説教される福音が実質的には罪の赦しにとどまっているのではないのか、との危惧を持つようになりました。

 来年は次の聖句を深く思いめぐらし、機会が与えられたら、説教したいと願っています。

 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
(エフェソ1:3~7)

このブログを読んでくださっている皆様に新しい年も神さまの恵みが豊かにありますように。

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 年末年始はブログは休みます。6日から再開します。
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沢山の人であふれる東大寺の参道