元旦は奈良高畑教会の礼拝に出席しました。説教のために読まれた聖書箇所はガラテヤ書の6章で15節の言葉を中心に説教が行われました。
割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
聖書朗読でこの15節を聞いたとき、どうしても思い出せない聖句を聞いた思いがしました。というのは私は一つのテーマとして「信仰によって義とされる」ということを考えていたからです。
罪を犯している私たちがイエス・キリストの十字架の死による罪の贖いを信じるなら、私たちは義とされるという教えは大切な教えです。神は私たちを義なる者と見てくださるという意味です。
神は私たちを義なる者と見てくださるだけなのでしょうか。もし義と見てくださるだけならそれは空しいのではないかと考えています。義と見なされるだけ!?あまりうれしくない!
天地を創造し、イエス・キリストを信じる者を愛する神さまは、イエス・キリストを信じる人を新しく造りかえ、義なる者へと造り変えていくことができるし、そうされるはずであると考えます。そのことをはっきり指し示す聖句があったはずなのです。聖書のどこに書かれていたのか、なかなか思い出せないでいました。それが一年の最初の礼拝で、その聖句を聞くことができて私はうれしかったです。
大切なのは、新しく創造されること、つまり義なる人として創造されることです。これは神さまの恵みとして行われることですが、私たちの努力も必要です。
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
(エフェソ4:22~24)
古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るのは、私たちが自分ですることです。具体的にこれがどういうことかはエフェソ4:25以下に書かれています。
- 4:25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
- 4:26 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
- 4:27 悪魔にすきを与えてはなりません。
- 4:28 盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
- 4:29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
- 4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
- 4:31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
- 4:32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。