パウロ
キリストに結ばれ、キリストと共に死に、キリストと共に生きる人になった人を紹介します。それは使徒パウロです。
キリストによって救われたキリスト者はどんな人かを描写します。
あなたがたに会い、福音を伝え、あなたがたの力になりたい、あなたがたを励ましたい。使徒としてのパウロの心を知ります。
使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいることを熱望しています。パウロの心境に近づきたい。
キリストをもっと身近に感じたい、キリストと私が結ばれている、ひとつであることを実感できたらという思いがあります。
パウロはキリストに結ばれて生きる信仰者となり、罪を克服して生きる者とされました。
パウロにとって、キリスト者となることはキリストに結ばれ、キリストとひとつになることを意味していました。そのことは彼の生き方に現れましたが 彼の内面での出来事でもあったのです。
キリストと結ばれた者としてキリストを宣べ伝えています。彼の経験派、彼がキリストとひとつにされていることを示します。
使徒パウロは、キリスト者のことをキリストに結ばれた者と語ります。キリストに結ばれている、それがキリスト者の特徴あるいは本質だというのです。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。この聖句を自分のものにしたい。
私たちは洗礼を受け、クリスチャンになりますが、パウロは洗礼を通して、私たちはキリストに結ばれると書きます。
「いつ死んでもいい」と題して3回目の思いを書きました。
神から御子を示されたパウロの思索のあとを辿ります。
パウロの言葉は、パウロが神の御心を知り、御心に生きようとした人であることを感じさせます。
神から御子を啓示され、イエス・キリストが救い主と知ったパウロの心境の変化を追います。
クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。
復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?
そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストを知る素晴らしさとは?
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。パウロはどんな気持ちでこの告白をしたのでしょうか。
聖書の中で親しみを感じる第一の人は使徒パウロです。パウロとの関わりを振り返ってみたいと思いました。
わたしって誰なのでしょうか。
どんな迫害にも負けずに伝道したパウロ。真剣に信じて生きる人の姿はほかの信仰者の励ましになることを思います。
テサロニケ教会の成熟した姿に、教会を誕生させた使徒パウロの姿に静かな感動を覚えます。
コリント教会を愛するパウロの愛に驚きます。パウロの愛に神の愛を感じます。
キリスト者を迫害することからキリストを宣べ伝える者へパウロは返信。何が起きたのか。
キリストと出会ってパウロの心はどのように変わったのか。一つ確かなことは、彼は自分がみじめな人間であると悟ったこと。
パウロはキリストと出会い、それまで誇りにしていたものが塵になったと語ります。何が起きたのでしょうか
使徒パウロは、自分が使徒であることをどのように弁証しようとするのでしょうか。
老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。