クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

パウロ

信じる心と疑う心(3)サタンの使い

パウロはその身に刺が与えられ、それは彼の弱さでした。それはサタンが置く歌使いでした。

人生航路の第二段階(59)パウロの死と復活

キリストに結ばれ、キリストと共に死に、キリストと共に生きる人になった人を紹介します。それは使徒パウロです。

人生航路の第二段階(15)恵みの救い

キリストによって救われたキリスト者はどんな人かを描写します。

聞き手の力となり励ます説教

あなたがたに会い、福音を伝え、あなたがたの力になりたい、あなたがたを励ましたい。使徒としてのパウロの心を知ります。

わたしの憧れ

使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいることを熱望しています。パウロの心境に近づきたい。

キリスト、わが内に生きたもう(5)わが告白となる

キリストをもっと身近に感じたい、キリストと私が結ばれている、ひとつであることを実感できたらという思いがあります。

キリスト、わが内に生きたもう(4)罪に打ち砕かれるパウロ(2)

パウロはキリストに結ばれて生きる信仰者となり、罪を克服して生きる者とされました。

キリスト、わが内に生きたもう(4)罪に打ち砕かれるパウロ(1)

パウロにとって、キリスト者となることはキリストに結ばれ、キリストとひとつになることを意味していました。そのことは彼の生き方に現れましたが 彼の内面での出来事でもあったのです。

キリスト、わが内に生きたもう(3)キリストとひとつに生きるパウロ

キリストと結ばれた者としてキリストを宣べ伝えています。彼の経験派、彼がキリストとひとつにされていることを示します。

キリスト、わが内に生きたもう(2)キリストに結ばれた者

使徒パウロは、キリスト者のことをキリストに結ばれた者と語ります。キリストに結ばれている、それがキリスト者の特徴あるいは本質だというのです。

キリスト、わが内に生きたもう(1)

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。この聖句を自分のものにしたい。

パウロの考える洗礼

私たちは洗礼を受け、クリスチャンになりますが、パウロは洗礼を通して、私たちはキリストに結ばれると書きます。

いつ死んでもいい

「いつ死んでもいい」と題して3回目の思いを書きました。

パウロの思索

神から御子を示されたパウロの思索のあとを辿ります。

神の御心と向き合うパウロ(続き)

パウロの言葉は、パウロが神の御心を知り、御心に生きようとした人であることを感じさせます。

神の御心と向き合うパウロ

神から御子を啓示され、イエス・キリストが救い主と知ったパウロの心境の変化を追います。

わが身を振り返るパウロ

クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。

戸惑うパウロ

復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?

キリストを知ることのあまりのすばらしさ

そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストを知る素晴らしさとは?

わが内に生きておられるキリスト

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。パウロはどんな気持ちでこの告白をしたのでしょうか。

心に刺さるパウロの言葉

聖書の中で親しみを感じる第一の人は使徒パウロです。パウロとの関わりを振り返ってみたいと思いました。

わたしって誰?

わたしって誰なのでしょうか。

真剣に信じて生きる人

どんな迫害にも負けずに伝道したパウロ。真剣に信じて生きる人の姿はほかの信仰者の励ましになることを思います。

師と仰ぎたいパウロ

テサロニケ教会の成熟した姿に、教会を誕生させた使徒パウロの姿に静かな感動を覚えます。

パウロの愛

コリント教会を愛するパウロの愛に驚きます。パウロの愛に神の愛を感じます。

A長老とBさんの対話(18)パウロの心境の変化

キリスト者を迫害することからキリストを宣べ伝える者へパウロは返信。何が起きたのか。

A長老とBさんの対話(17)私は何とみじめな人間でしょう

キリストと出会ってパウロの心はどのように変わったのか。一つ確かなことは、彼は自分がみじめな人間であると悟ったこと。

A長老とBさんの会話(16)生き方が逆転したパウロ

パウロはキリストと出会い、それまで誇りにしていたものが塵になったと語ります。何が起きたのでしょうか

良き模範、謙遜なパウロ

使徒パウロは、自分が使徒であることをどのように弁証しようとするのでしょうか。

老いを生きる信仰

老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。