実は今説教準備のためにテサロニケの信徒への手紙一を何度も通読しています。この手紙の1~3章を読んで静かな感動を私は覚えています。テサロニケ教会は第二次伝道旅行でパウロが伝道して誕生した教会です。
パウロがテサロニケ教会と直接関わった期間はそんなに長くないと思いますが、テサロニケ教会はすばらしい教会だと思いました。キリストの教会として成熟していることを思わせます。
1:6~7
そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
テサロニケ教会の信仰者たちの姿が描かれています。主に倣う者となり、地域の信者の模範になったというのです。正直驚きます。こんなことありえるのかと思います。しかし神さまは人間の思いを越える働きをなさる方ですから、神さまの導きにより、テサロニケ教会は成熟した教会になったのだと思います。
パウロはこんなことも書いているのです。
2:19~20
わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。
そしてパウロの伝道者としての自覚にも驚きます。
2:4
わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。
「holalaさんは牧師として働いていたとき、どんな自覚を持っていたのですか」と聞かれたら、私はどう答えたのかと思います。私自身は「ひたすら神さまに忠実でありたい」と思ってきたと答えると思います。パウロとは自覚のレベルが違うなと思わされます。
さらに
2:10
あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。
これもすごい。キリストの十字架と復活による救いの恵みの広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを知った人だから、謙遜にここにあるように使徒として歩んだのだと思わされます。
師と仰ぎたい使徒パウロです。