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隠退牧師 holala によるブログ

種まきのたとえ

 今日はマルコ福音書で、種まきのたとえを読みました。イエス様がたとえの意味を説明する部分です。種は4つの場所に蒔かれました。道端、石だらけの地、茨の中、そして良い土地です。

 種とは神の言葉です。道端に蒔かれた種はサタンが奪い取ったとあります。言い換えると神の言葉を聞いても何の反応も示さない人、つまり関心を持たない人が道端で示された人です。これでは神の言葉は実を結びようがありません。

 石だらけの地に蒔かれた種は、根がないために芽が出たとしても成長することなく、実ることもありません。神の言葉が根を張るとはどういうことでしょうか。神の言葉を知識として知るだけでは根付かないと思います。ヤコブの手紙2章17節にこうあります。

ヤコブ 2:17
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

 これに倣って言うなら、神の言葉は、行いが伴わないなら、死んだものです。つまり根を張らないということです。私たちが神の言葉を聞いた時、神の言葉を行いに結びつけるとき、信仰者の心に神の言葉は根を張るのです。しっかり根を張ることによって葉が出て大きくなりやがて花が咲き実を結びます。

 茨の中に蒔かれた種は、芽が出て葉が出て成長しても上から茨が覆い実を結べなくなります。思い煩い、富の誘惑、いろいろな欲望が心の中に湧いてきて、御言葉を行いに結びつけることができなくなります。いや、結びつけようと思わなくなります。これでは実を結びません。言い換えると罪に負けたということです。信仰者には、神の御心に従うことを妨げる色々な力が働きます。これらの力に勝たないと実を結ぶことはできません。

 人間の心には色んな思いが湧いてきます。思い煩いも湧いてくるし、富の誘惑、権力欲、名誉欲、ぜいたくへの誘惑、性的な誘惑、色々な誘惑が心に湧いてきます。湧いてくるのを抑えることはできません。このような思いが湧いてきたときにどうするかが大切です。誘惑には目を背けます。つまり他のことを考えます。思い煩いに対しては神さまに祈り、信頼し、ゆだねます。不安や恐れもありますが、神さまに祈り、ゆだねます。「信仰の弱い私を助けてください」と祈ることは大切です。恥ずかしいことではありません。こうして罪に誘う力に勝利することができることを体験することは恵みであり、覆いかぶさる茨を取り除くことになります。

 良い土地に蒔かれた種は実を結びます。イエス様は、神の言葉を聞いた私たちは豊かな実を結ぶことを約束しています。

 そして自分の信仰の歩みを振り返ります。神の言葉は実を結びました。福音宣教者として牧師の働きを全うできたことは大きな実だと思います。また夫婦共に聖書に学び、聖書に聞いて歩み、幸いな結婚生活を送ることができたことも大きな実だと思っています。

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