新しい人
神によって自由な存在として造られた人間は、罪に傾く心を持っています。それゆえ、何かあれば罪を犯してしまうのが人間です。その人間を罪から救うために神は、イエス・キリストを信じる者を新しく生まれさせます。
キリスト者は新しく生まれ変わった存在です。生まれ変わりをもたらすものは、キリスト者に与えられた聖霊です。
イエス・キリストを信じた人に与えられる救いの恵みは罪の赦しであり、さらに義とされます。これに続いて与えられる神さまの救いの恵みは「新生」です。
梅雨間近のこの季節、年を重ねた今、気温の変化が微妙に体に影響を与えます。
聖書は人は罪と死に支配されていると語りますが、人は自分が自由であると考えています。
聖書を読む時に、神さまはいかなるかたかを考えながら読むと発見があります。
キリスト者の対話から、キリスト者も偶像礼拝していることが分かる?
キリスト者が新しい人として生きる理由。そもそもキリスト者は新しい人だから。
キリスト者が新しい人として生きていく理由。第一のりゆは神の国を目指して生きているから。
聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知り、また戒めの背後にある神さまのお心を知ることは大切であり、喜びです。
キリスト者は可惜いく生まれた人、これは聖書のメッセージです。いかに新しい人として生きるのか。
キリスト者は新しく生まれた存在です。新しい人としてどのように生きていくのか、課題です。私の答えは・・・
キリスト者は新しい存在であることをめぐっての会話
キリスト者は新しく生まれた人です。実感しにくいかもしれませんが、信じることが大切です。
キリスト者は律法から解放され、「しなければならない」という考え方から解放されました。神の教えを守らなければならないとは考えません。守りたいと考えるのです。
信じたことは、やがて経験できるようになります。キリストに結ばれたキリスト者は、その古い人が死に、新しい人が生きるようになったことを経験するようになります。
罪に勝利して生きることを考えるとき、罪から解放された者として生きることを考えるとき、考えるべき大切なことが二つあります。第一は、古い人と新しい人の理解。第二は、肉の性質です。
信仰者は新しく生まれた者です。信仰者のアイデンティティーです。
新しい人として生きようとすると罪との戦いが生じます。つまり聖書の教えを具体的に実践しようとするとその教えに抵抗する自分を見いだすのです。神さまの教えに反発する自分を知らされるのです。つまり自分の真の罪を思い知らされるのです。罪とは、神ご自…
信仰者が新しく生まれた人間として生きようとすると何が起こるのでしょうか。彼はまず御言葉を行おうとします。たとえばエフェソの信徒への手紙には新しい人の生き方としてこんなことが書かれています。 日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 夫婦…
リアルタイムの初日の出。テレビ撮影。 元旦礼拝の説教で「聖書の言葉を具体的に実行して生きよう」と語られ、うれしく思いました。 * 信仰者は、新しく生まれた存在です。神の子です。私たちが礼拝に出席する、聖書を読む、祈る、これらは新しい人とされた…
イエス・キリストを信じる私たちは神さまによって新しく生まれた存在です。そのことを示す聖書の言葉を列挙します。あなたがどう思おうと、聖書はイエス・キリストを信じる信仰者は新しい人であると告げています。 この人々は、血によってではなく、肉の欲に…
信仰者は新しく生まれた存在。戸惑いを与える教えかもしれません。信仰者は新しく生まれた存在、これは神さまの約束です。神の約束を信じる、これが聖書の信仰です。今はクリスマスシーズンなので、主イエスの母マリアのことを考えます。 天使がマリアを訪れ…
罪の告白の祈りを聞いて、「あなたはイエス・キリストを信じ、自分が新しく生まれ変わったこと、新しく造りかえられたことを信じていますか」と問いたい気がします。いきなり問うのは、ぶしつけで相手に対して失礼になるような気がしますので問うことはしま…
礼拝における司式者の祈りで罪の告白の祈りについて問題を感じると書きました。その問題点の第一は、真剣な悔い改めがないということです。同じような罪の告白の祈りが毎週なされるということは、真剣な悔い改めがなされていないことを明らかにしています。…
あれは金沢元町教会に赴任して間もない頃でした。僕が56歳くらいのことだったと思います。牧師になったのが35歳だから、およそ20年後のことです。ある集会で講師が礼拝の司式者の祈りについて言及しました。わたしたちの教会では、長老あるいは役員が司式を…