クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

A長老とBさんの対話(1)新しき人、キリスト者

「A長老、ちょっとお聞きしたいんですけどいいですか」
「何ですか、Bさん」
「実は今日の説教で、キリスト者は新しく生まれた存在だと聞きました」
「Bさんは去年のイースタに洗礼を受けて、もうじき一年ですね」
「そうです。自分が新しく生まれたという実感がないんですよ」
「そうですか。実感がないんですか」
「はい、真面目に礼拝はずっと出て説教は聞いていますが、自分が新しく生まれていると言われても、戸惑ってしまうんです。A長老はどうなんですか。もう長い信仰生活を送っておられますね」
「そうですね。私も最初はそうでしたね。会社にいる自分、家庭にいる自分を見ると、信仰を持つ以前と以後とそんなに変わってはいませんでしたね。まあ説教を聞いたり、聖書を読んだりして、聖書についての知識は増えましたが、信仰者としての自分のあり様は変わったという実感はなかったですね」
「今の私と同じです。それでA長老はどうなんですか。自分は新しく生まれた存在だと思っているんですか」
「そう、今は思っているし、それなりに実感もしていますよ」
「そうですか。うらやましい。私も実感したいですね。どうしたら実感できるんでしょうか」
「まず信じるんです」
「え、何を?」
「Bさんは神さまを信じていますよね」
「はい、信じています」
「神さまの存在を実感していますか」
「いえ、実感はしていません」
「神さまの存在は実感していないのに信じているんですね」
「ええ、信じています」
「それと同じですよ」
「どう同じなんですか」
「自分が新しく生まれた存在だと信じるんです」
「実感していないけど信じると言うんですか」
「そうです。神さまの存在は実感していないけど信じているんでしょ。聖書にキリスト者は新しく生まれた存在であると書いてありますよ」
「そうなんですか」
「たとえばヨハネ福音書にこうあります。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」
「霊によって生まれる、何かむずかしいですね」
「イエス様を信じた人は、救われて神の国に入れます。だから、新たに生まれているんです」
「はあ?」
「聖書にこう書いてあります。どう思います」
「どう思いますと言われても」
「ここで大切なことをお伝えしますね」
「Bさんは自分が信じられることを信じますか。聖書が語ることを信じますか。どちらです?」
「今、どちらですと言われても、すぐには返事ができません」
「そうでしょうね。私もそうでしたから。聖書は神の言葉、真理の言葉と信じる、これが私たちの信仰なんです。私たちは神さまを信じるだけではなくて、聖書を神の言葉と信じるのです。そうすると私たちの信仰は揺るがなくなります」
「なるほど」
「自分が信じられることを信じるのでは、自分が基準になってしまい、信仰は揺れ動くんです。それこそ大変なことが起きて、神さまがいるとは信じられないというようなことになったらどうなりますか」
「そうですね」
「あなたが信じられるから神さまはおられる。あなたが信じられなくなったら神さまはいない。そういうことになるのでしょうか」
「それはちょっと違うように思います」
「だから、まず自分は新しく生まれたという聖書の言葉を信じるのです」
「そうするように努力してみます」
「これだけはお伝えしたいと思います。あなたには新しく生まれたしるしがあるんですよ」
「え、どんなしるしが」
「今、教会の礼拝に出席していますよね。それはあなたが新しく生まれたしるしです。信仰を持つ以前のあなたは礼拝には行きませんでした。今礼拝に続けて出席しているのは、新しく生まれたからです。聖書を読むのも、お祈りをするのも、あなたが新しく生まれたことを示すしるしです」
「なるほど」
「もう少しお話ししたいことがありますが、今日はここまで。今度続きをお話ししましょう」
「お話ししていただき、ありがとうございました。教えていただいたこと、ゆっくり考えてみたいと思います」

 

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