今から10年前の今日の午後、私はテレビに釘付けでした。あの津波が町を襲う様子をテレビで見ている時、信じられないとの思いでした。もちろんテレビに映っているのは現実です。以前スマトラを襲った地震で津波が町を襲った映像を覚えていて、このようなことが日本で起きるはずがないと思いこんでいましたが、テレビにはそれが現実になっている光景が映し出されていました。
金曜日の午後でした。説教の準備を中断してテレビを見ていました。そして予定された聖書の箇所での説教を行うことはできない、と判断しました。これだけの出来事が起きたのです。それに対して聖書からメッセージを聞かなければならないと思いました。そして新しい説教を準備しました。
その後、原発の被災、事故も知らされました。そして原発事故のため多くの人が避難を余儀なくされたことも知りました。私は大学で原子力工学科に在籍し学びました。クラスメートの大半は何らかの形で原子力発電に関わる仕事に携わりました。私自身は、色々な理由で原子力とは無関係なコンピュータの仕事に就きました。原子力を学んだ私は、原子力発電を支持する考えを持っていました。でもこの原発の事故で、考えを変えました。出したゴミを適切に処分できないような事業はすべきではない、これが理由の一つでした。そして人間がコントロールできない要素を持つものは事業にしてはならないと考えました。
東日本大震災で被災した教会の再建のために教会をあげて献金をしました。そして会堂が改修されたあるいは新築されたというニュースはうれしかったです。福音を宣べ伝える拠点が再建されることは喜びでした。日本基督教団では、会堂の再建費用の半額を教会に支援しました。しかし残りの半額は教会で負担しなければなりません。この負担は借金として教会にとって大きな負担となって、今も返済で苦しんでいる教会があるそうです。不条理と思えることが私たちの人生に起きます。それでも人間は生きていこうとします。神さまの恵みがすべての人と共にあるように祈ります。