クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

愛は自慢せず、高ぶらない

愛は自慢せず、高ぶらない。コリント書の言葉を思いめぐらしました。

勝利の道は目の前に

罪との戦いに勝利の道が用意されています。必要なのは決断です。

キリスト者は決断をして生きる

信仰者の心の中の戦い。勝利する道は信仰者の決断です。

愛はねたまない

愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。

私は生かされているのか

人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。

わたしはなんとみじめな人間なのでしょう

わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

霊に従うか、肉に従うか

キリスト者として生きようとすると葛藤が起きます。神の教えに生きようとする思いとそれに反発する思いが心の中でぶつかるのです。

肉の人と霊の人

キリスト者には肉の人と霊の人がいます。霊の人になることが信仰者の成長を意味します。

愛は忍耐強い

愛とは何かを語る時、パウロは最初に「愛は忍耐強い」と語ります。なぜ一番最初に「愛は忍耐強い」と言ったのか、疑問が湧きました。

高官のための祈り

政治家のためにいかに祈るか、むずかしいです。

律法を利用する「罪」

私たちに罪を犯させる力としての「罪」は律法を利用して私たちに罪を犯させます。

罪へ誘う勢力を認めて戦う

罪へと私たちを誘う勢力を認めると、罪との戦いが生じますが、勝利が約束されています。

罪へ誘う勢力を認める

罪との戦いを考える時、私たちに罪を犯すように働きかける力のあることを認めることが大切です。

福音の響き

将棋の棋士が指す美しい手。牧師が語る美しい説教とは?

年の暮れの思い

年の暮れを迎えた思いの紹介です。聖句が心に残ります。

肉の現れ

キリスト者も肉の業への誘惑の中にいます。肉の業から自由になれない現実があります。

肉とは何か

肉とは生まれながらの人間の性質で罪とは切り離せない者です。

燭火礼拝

12月24日燭火礼拝に参加しました。

罪との戦いに備える

罪に勝利するために聖霊の助けが必要であり、罪と闘う決心が必要です。そして敵は私たちの内にいるのです。

出発はアイデンティティー

キリスト者のアイデンティティーに立つことから信仰者の成長の歩みが始まります。簡単な道筋を紹介します。

退院して新たな思いで

キリスト者のアイデンティティーを知ることが、キリスト者の歩みの真の出発点。

試練の諸段階(2)

試練を通して、聖書の言葉が自分を支える大切な言葉になっていきます。聖句が自分のものになっていきます。

試練の諸段階(1)

試練をくぐる時、そこには段階があるのではないかと考えました。4段階。

食べるにしろ飲むにしろ神の栄光を

食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光のためにしなさい。神の栄光のために食べるってどういうこと?

その時はかならず来る

入院中、「その日」は来ると確認しました。色々な「その日」があります。私が確認した第一の「その日」は、私が天に召される日です。

讃美歌が支えになった

入院中、気持ちが揺れ動く中で、讃美歌は心の支えとなりました。自分を支える賛美があるのですね。

信仰に立とう

試練によって私たちの信仰は本物になっていくとの聖書の言葉の真理をあらためて知った入院・手術。

万事を益とする神と信じる

入院中は心が揺れ動きます。支えとなるのはやはり聖書の言葉です。神は万事を益としてくださる。

一山越えたらまた山が

手術後の先行きが見えない不安。やがて時が来て次の段階へ。しかしさらなる不安が。

入院中の祈り

入院中の祈りは切実です。イエス様は言葉を多くしてくどくど祈るなと教えられ、執拗な祈りは聞かれるとも教えられました。どう祈ればいいの?