クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の終活

聖書が語る救いは「滅び」からの救いです。滅びとは何でしょうか。神さまに見捨てられることと考えます。

聖書が告げる救い

聖書が告げる救いの三つの側面、過去、現在、未来の救いについて考えます。

良い習慣を身につけて

自分が身につけてきた習慣の紹介。

イエス様の権威

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と語られたイエス様の言葉。どう受けとめたらいいのか。

聖なる者とは

聖なる人とはどのような人なのでしょうか。私はキリスト者として生きていきますと自分の生き方を鮮明にして生きる人と言えるのでは。

受難節で思いめぐらしたこと(二)

イエス・キリストの十字架を神の計画という視点から考えます。神さまは世界を創造する時に十字架を計画しておられました。

キリストの復活を信じる

神はキリストを復活させました。これは神の大いなる力によります。この力が私たちにも働くとすれば

受難節で学んだこと(1)

十字架の上でひとびとからののしられ、あざけられ、侮辱されたいえす。みじめなすがたをさらすのはなぜ?

聖なる人、クリスチャンのアイデンティティー

クリスチャンは聖なる人であることをめぐっての対話。

聖なるかな

讃美歌を歌いながら、ただ歌っていただけのうかつな私。讃美歌546『聖なるかな』を歌いながら気づいた私

キリストの復活を信じる

キリストの復活をめぐる問答です。どう信じるのか、どのようにして信じたのか。

聖書を神の言葉とする

聖書が神の言葉であると信じることは、聖書によって自分を解釈することです。

愚弄されるにまかせるイエスさま

ローマの兵士たちに愚弄されるにまかせるイエスさまのお姿。どうしてそこまで。

受難週の日々

受難週の近況。

新しい人として生きるのがキリスト者

キリスト者が新しい人として生きる理由。そもそもキリスト者は新しい人だから。

なぜ新しい人として生きるの?

キリスト者が新しい人として生きていく理由。第一のりゆは神の国を目指して生きているから。

神さまに対する親しみ

イエス様は御子として父なる神さまに親しみを感じていると思います。自分もそのような親しみを感じたいとの願いがあります。

新しい人、神さまの御心に思いを向ける人

聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知り、また戒めの背後にある神さまのお心を知ることは大切であり、喜びです。

新しい人、良い木

キリスト者は可惜いく生まれた人、これは聖書のメッセージです。いかに新しい人として生きるのか。

新しい人、それは信仰の出発点

キリスト者は新しく生まれた存在です。新しい人としてどのように生きていくのか、課題です。私の答えは・・・

わが主、イエス

イエス様は「あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る」と語り死刑にあたると裁かれました。。

わたしと共に目を覚ましていなさい

ゲッセマネの園でイエス様は「わたしと共に目を覚ましていなさい」と弟子たちに命じました。これは私に向けられた言葉です。

聖書をこととして読む

イエス様は聖書に示された神さまの救いの計画に身を投じました。聖書を我がこととして読むことを教えられます。

キリスト者は新しい存在

キリスト者は新しい存在であることをめぐっての会話

御国への一日の旅路

物憂い思いで目覚めた一日。色々なことがありました。

祈り、そして決断

ゲッセマネの園で祈り。祈りの中で、十字架への道を決断するイエス。そして「立て、行こう」と前進するイエス様

イエス様の悲しみ

ゲッセマネの園で主イエスは祈られました。そのとき、「死ぬばかりに悲しい」とイエス様は言われました。何を悲しまれたのでしょうか。

新しき人、キリスト者

キリスト者は新しく生まれた人です。実感しにくいかもしれませんが、信じることが大切です。

今から10年前のあの日

10年前の東日本大震災を思い出して書きました。

キリスト者の弱さと強さ

自分の弱さにどう対処するのか。弱さに直面する時、それは神さまの出番です。