クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

孫への伝道

妻が孫たちにヨハネ黙示録の話をしています。黙示録の面白さを伝えたい!

礼拝と活動の自粛

活動の自粛、外出の自粛の中で、日曜の礼拝をどうするのか、教会の課題です。

聖書が語る救いについて(7)死後の救い

聖書は死後の救いについても語ります。私たちは神の国に迎えられます。これが本当だと信じることのできる根拠は、イエス・キリストの復活にあると信じます。

新型コロナウィルス感染脅威に関連して

神戸改革派神学校の校長吉田隆さんが書かれた『ウイルス禍についての神学的考察』という文章から一部を紹介します。

神に栄光を

イエス様は祈りの中で「あなたの栄光を現しました」と祈られました。イエス様に倣い、私もこのように祈りたいと思いました。

伝道の秘訣

イエス様は、信仰者の群れが主に会って一つとなるとき、世の人たちがイエスを信じるようになると教えられました。

御言葉を行う

私たちの思いは行いとなり、行いは習慣となり、習慣はやがて性格、人格となります。 み言葉を思い、み言葉を行うことを習慣化するとみ言葉による人格形成ができます。

罪の呪縛(続きの続き)

私のアイデンティティーは正しい人間。「私は罪深い」は信仰者のアイデンティティーではありません。神さまの助けを得て罪を克服します。

罪の呪縛(続き)

「私は義人にして罪人である」。この言葉も私たちを罪の呪縛の中に導きます。問題なのは、私たちが福音に対して無知であることです。

罪の呪縛

人を罪意識の呪縛に追い込む者として、宗教改革者ルターの言葉があります。その言葉がひとり歩きをすると罪意識の呪縛をもたらします。

心が痛むこと

罪意識に悩む人がいます。心が痛みます。福音は喜ばしい知らせなのに。なぜ、と考えざるを得ません。

聖書が語る救いについて(6)教会に生きる(続き)

私たちの生きる拠点は教会です。福音を聞き、信仰者の愛の交わりに生き、この世へ遣わされます。

聖書が語る救いについて(5)教会に生きる

教会に属して生きる、そこにも神の用意された救いがあります。信仰は生活の拠り所以上のものです。

模範に気づく

夫婦で聖書通読をしている信仰の兄弟からのメールを読み、模範にしたいと思いました。

聖書が語る救いについて(4)キリストと同じ姿に

救われて生きるとは、キリストと同じ姿に造りかえられる歩みをすることであり、この世の旅を通して、造りかえられていきます。

心のうちにある動機

私はなぜ聖書を読み、礼拝をささげ、説教をするのか。私の心の動機は?

時間の感じ方

朝目覚めたときの思い。今日も「老いの一日」を過ごす。明日も「老いの一日」の繰り返し。

聖書が語る救いについて(3)神の国を目指す旅に生きる

救いとは、目標を目指して生きることができる幸いのことです。神の国を目指してこの世の旅をする私たちの歩みの中に救いがあります。

聖書が語る救いについて(2)

聖書が語る救い、それは神に導かれる人生を生きること。

聖書が語る救いについて(1)

救いとは、神が用意された未来に生きること。未来を選ぶこと。

救いを必要とする理由

私たちが救いを必要とする理由は何?

緊張感を感じた礼拝

イベント・集会自粛ムードの中での強化の礼拝で感じた緊張感。

聖書に描かれている罪(16) まとめ(3)

聖書に描かれている罪についてのまとめ。行為としての罪、思いとしての罪。

向こうへ持っていけるもの

向こうへ持っていけるもの。変なタイトルかもしれません。聖書を読んでいて思いつくいたタイトルです。

聖書に描かれている罪(15) まとめ(2)

聖書に描かれている罪についてのまとめの第二回。聖書が語罪とは何か。

聖書に描かれている罪(14) まとめ(1)

聖書に描かれている罪を見てきましたが、まとめてみます。

イエス様につながり結んだ実

イエス様というぶどうの木の枝である私が結んだ実は何か。振り返ってみました。

説教を作る上での心得

説教の心得。説教では神学者の言葉を引用しないこと、引用するなら聖書の言葉にする、それが私の心得です。

自分の死を受け入れる理由

私が自分の死を受け入れる理由。

葬儀がありました

教会で葬儀があり思いだしたこと、そして今の思い。