クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

過ぎ去った日々を覚えて 鳥羽教会・牧師会

人との出会いは私にとって神の導きです。牧師会を通して神学の基礎を身につけることができました。

老人の生き甲斐とは

置いた人間の生き甲斐とは何でしょうか。神の視点で生き甲斐を考えるとは?

過ぎ去った日々を覚えて 鳥羽教会・会堂建築

最初に赴任した教会でがむしゃらに奔走して会堂建築を行いました。

過ぎ去った日々を覚えて 鳥羽教会(三重県)

同じ地区の牧師を訪問して導かれた神の恵みです。信仰のあり方としての敬虔、親のあり方を教えられました。

生ける水の源

エレミヤ書で印象に残る聖句です。「わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて/無用の水溜めを掘った。水をためることのできない/こわれた水溜めを」。

過ぎ去った日々を覚えて 人生の伴侶との出会い

神さまは、人生の伴侶を備えてくださいました。その証しです。

過ぎ去った日々を覚えて 神学校への入学

牧師になりたいとの憧れを抱きました。その憧れを神さまは私に与え、実現に導かれました。

新しい習慣~聖書通読

朝起きるとすぐに聖書を通読するという新しい習慣が身につきつつあり、うれしく思っています。

過ぎ去った日々を覚えて 洗礼に向かって(続き)

罪が分からなくては洗礼を受けることができません。自分の罪を思わされる出来事が起き、洗礼に導かれました。

過ぎ去った日々を覚えて 洗礼に向かって

大学を卒業したのと、人との出会い、思いがけない出来事によって、礼拝に通うようになりました。不思議な神の導きです。

過ぎ去った日々を覚えて~信仰以前

信仰を持つ以前の私には二つの悩みがありました。死の恐れ、生きることの空しさです。

新しい聖書の翻訳の恵み

詩編143:5 私は過ぎ去った日々を思い起こし、あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、御手の業を思いめぐらします。 御言葉に誘われ、人生を振り返りたくなりました。

神の言葉に生きる幸い

イエスは「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」と教えられました。 具体的にはこれはどういうことでしょうか。

みそ汁を作る時の充実感

最近、朝みそ汁を作っている時、充実感を感じます。なぜなのかと思います。

終末をどう信じる?

聖書に導かれ、聖書が語る終末をどう信じたら良いのか、思いめぐらしました。

恵みの一日

朝祈る時、今日の一日を恵みとして感謝しますとはまだ祈れませんが、就寝前、一日を振り返り、今日の一日を恵みとして感謝できるのでは。

すべてが恵み

久しぶりに里山を歩いて、食事をしました。そこで見た風景を見て、この一瞬は恵み。『恵み』という賛美を思い出しました。

実現する神の約束

聖書を読む時、そこにどんな神の約束があるのかに注意を払って読むことが大切です。神の約束が実現したという証しです。

ヘンリ・ナウエン

カトリックの司祭、ヘンリ・ナウエンの考えに共感できる部分がありました。彼の本を読んでみたいと思いました。

礼拝説教 御名が聖とされますように

主の祈りの「御名が崇められますように」、この句をテーマにして説教しました。

朝、詩編を読む

つい先日から、毎朝詩編を読み続けています。ただ通読するだけです。

この世に生まれたことは恵み

『恵み』という賛美の歌詞に「この世に生まれたことは恵み」とあります。このように告白できるのか否か。

御言葉が突然に

病院の待合室で診察を待っているとき.突然御言葉が迫ってきました。パウロの祈りと神の答えです。

永遠なる神の愛

「死も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。キリスト者の希望です。

私はあなたと共にいる

自分の老い先を考えると時に不安になります。神に信頼し、神にゆだねるのがよいと教えられました。

義の冠

世を去る時が近づいたことを知るパウロは義の冠を得ることを期待しています。キリスト者も義の冠を受けると励まします。

神との対話の祈り

老いに生きる中での不安を神に打ち明ける神との対話の祈りをしました。

最後の審判

聖書によれば、イエスが再臨し、終末が到来し、すべての人が神の審判に前に出ることが示されています。

新しい天と地

黙示録の言葉。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。慰めに満ちた言葉です。

老いと祈り

祈りを神との対話と考え、自分の祈りの充実を目指します。