クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

最近の祈り

最近の祈りです。

説教 罪からの解放

1月22日(日)大阪にあるH教会で説教奉仕してきました。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 旧約聖書 出エジプト記 3章7~10節 新約聖書 ローマ 6:1~20 説教 罪からの解放 ~~~~~~~~~~~~~~~

人生航路の第三段階(7)最後の審判の基準

人は信仰によって救われるのか、それとも行いによって救われるのか。そのような問いを立てることができます。

人生航路の第三段階(6)最後の審判

最後の審判を思うとき、すぐに心に浮かぶのは「こころを高くあげよう」(讃美歌第二篇1番)という讃美歌にある歌詞です。

人生航路の第三段階(5)キリストの再臨

人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。再臨のキリストは栄光のキリストです。

大関・貴景勝の優勝

日曜日の夕食直前、わが家では「やったー!」との叫び声が聞こえました。大相撲・貴景勝の優勝が決まった瞬間です。

人生航路の第三段階(4)終末を信じるさらなる理由

聖書は、私たちが神の国に迎えられるとき、主イエスに似た者となることを語っています。

人生航路の第三段階(3)終末を信じる理由

私が終末を信じる根拠の一つは最後の審判です。 主イエスの語った教えがあります。マタイ25章

人生航路の第三段階(2)終末を信じる根拠

終末の到来について信じる理由、根拠を見出したいというのが人間の心情です。私自身が信じる理由として考えていることを紹介します。

呼びかける神の声

先日讃美歌392番を歌ったとき心が震えました。 神のみ声は 昔のごと 今なお人を 召したもう 囚われし民 悩む者を 救う使いの 世にはなきか

人生航路の第三段階(1)終わりを見て生きる

人生行路の第三段階は、終わりを見て生きる、ということです。ここでは、世界の終末と私たちの生きかたを考えます。。

澄み切った心

今日、友人から送ってもらったモーツァルトのピアノソナタのCDで音楽を聴いていました。集中して聞いて、聞き終わったとき、心が洗われたような、澄み切った心になっているのに気づきました。

讃美歌21 368番「新しい年を迎えて」

元旦礼拝で、「新しい年を迎えて」という讃美歌を歌いました。ふと思い、youtube でこの曲を聞きたいと思いました。すると。

十字架のくしきひかり(3)自由の光

私は十字架のくしき光の中に自由を見ます。十字架の死を遂げた方こそ、私の主であり、この方は私を自由にしてくださいました。

洗礼式に立ち会って

今日午前中、私が礼拝出席している奈良高畑で洗礼式・聖餐式が行われました。私も出席しました。

怠慢の奴隷?

自分は怠慢の奴隷なのだと思いました。した方がよいと分かっていてそれができないのは、何かの奴隷だと私は考えています。

十字架のくしきひかり(2)憐れみの光

十字架のくしきひかりを仰ぐとは、十字架の恵みを確認することと言い換えてよいと思います。この確認をしたいと思いました。今回は2回目。

十字架のくしきひかり

十字架のくしきひかりを見るとはどういうこと?

年初の志し

この世で何が起きようと神さまを讃えて生きていきたい、それが年初の志です。

人格形成的な生の活動

「信仰」によって各自の自覚に伴う人格形成的な生の活動を意味するなら、いわゆる「宗教」がつねにこの道程に沿うものとは言いがたい。

永遠を思う心

年末になると思うことがあります。終わりがあること。自分の人生に、そしてこの世界に。

生活を楽しむ

最近、感謝して生活を楽しむことも御心に適うことではないかと考えるようになりました。

裁判を受けた主イエス

神である方が人となり、この世に生まれメシア(救い主)としての働きをします。しかし人々はこの人を信じるどころか死刑宣告をします。死刑宣告を受けたイエスを人々は愚弄します。

人生航路の第二段階(76)隣人愛するとは

キリスト者の実際の生活を考える時、身近な家族こそ、第一の隣人ではないでしょうか。身近な家族だからこそ、自分を愛するように愛することが大切です。

人生航路の第二段階(76)私の心の底にあるもの

私の内にある問題点とは、自分を第一にする心が心の底にあるということです。私は自分を罪深いと考えます。

人生航路の第二段階(75)神を愛するとは

神を愛するってどういうことでしょうか。信仰者の神に対する態度として、神をたたえる、神を崇める、神を畏れ敬うなどの表現があります。

もしガンになったら

自分がガンになったらどうするのか、と考えます。歳をとり、だんだんと考えが手術はしない方向に傾きつつあります。

人生航路の第二段階(74)神の戒めの目的

神はなぜ、イスラエルの民に戒めを与えたのでしょうか。神の戒めは、私たちを幸せにするため、私たちを祝福するためにあると考えます。

人生航路の第二段階(73)神の戒めに生きる

キリスト者はなぜ、神の戒めを守るのでしょうか。その理由、根拠は?

主イエスの悲しみとは

主イエスはゲッセマネの園で、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と語られました。主は何を悲しまれたのでしょうか。