愛は自慢せず、高ぶらない。コリント書の言葉を思いめぐらしました。
罪との戦いに勝利の道が用意されています。必要なのは決断です。
信仰者の心の中の戦い。勝利する道は信仰者の決断です。
愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。
人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
キリスト者として生きようとすると葛藤が起きます。神の教えに生きようとする思いとそれに反発する思いが心の中でぶつかるのです。
キリスト者には肉の人と霊の人がいます。霊の人になることが信仰者の成長を意味します。
愛とは何かを語る時、パウロは最初に「愛は忍耐強い」と語ります。なぜ一番最初に「愛は忍耐強い」と言ったのか、疑問が湧きました。
政治家のためにいかに祈るか、むずかしいです。
私たちに罪を犯させる力としての「罪」は律法を利用して私たちに罪を犯させます。
罪へと私たちを誘う勢力を認めると、罪との戦いが生じますが、勝利が約束されています。
罪との戦いを考える時、私たちに罪を犯すように働きかける力のあることを認めることが大切です。
将棋の棋士が指す美しい手。牧師が語る美しい説教とは?
年の暮れを迎えた思いの紹介です。聖句が心に残ります。
キリスト者も肉の業への誘惑の中にいます。肉の業から自由になれない現実があります。
肉とは生まれながらの人間の性質で罪とは切り離せない者です。
12月24日燭火礼拝に参加しました。
罪に勝利するために聖霊の助けが必要であり、罪と闘う決心が必要です。そして敵は私たちの内にいるのです。
キリスト者のアイデンティティーに立つことから信仰者の成長の歩みが始まります。簡単な道筋を紹介します。
キリスト者のアイデンティティーを知ることが、キリスト者の歩みの真の出発点。
試練を通して、聖書の言葉が自分を支える大切な言葉になっていきます。聖句が自分のものになっていきます。
試練をくぐる時、そこには段階があるのではないかと考えました。4段階。
食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光のためにしなさい。神の栄光のために食べるってどういうこと?
入院中、「その日」は来ると確認しました。色々な「その日」があります。私が確認した第一の「その日」は、私が天に召される日です。
入院中、気持ちが揺れ動く中で、讃美歌は心の支えとなりました。自分を支える賛美があるのですね。
試練によって私たちの信仰は本物になっていくとの聖書の言葉の真理をあらためて知った入院・手術。
入院中は心が揺れ動きます。支えとなるのはやはり聖書の言葉です。神は万事を益としてくださる。
手術後の先行きが見えない不安。やがて時が来て次の段階へ。しかしさらなる不安が。
入院中の祈りは切実です。イエス様は言葉を多くしてくどくど祈るなと教えられ、執拗な祈りは聞かれるとも教えられました。どう祈ればいいの?