洗礼者ヨハネは、イエスについてこう言いました。
ヨハネ 1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。
「神の小羊」とはどういうことでしょうか。イエスが神の小羊とはどういうことなのでしょうか。ここで出エジプトの出来事がその意味を教えてくれます。昔イスラエルの民はエジプトにおいて奴隷でした。奴隷としての苦しみの生活を何年も続けていました。その苦しみの中からイスラエルの民は神に助けを求めました。
神はイスラエルの民を助けるべく、いくつもの大いなる御業を行いました。そして最後の御業を行いますが、その時、神は民に命じました。
出エジプト記 12:1~12
エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。・・・
その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠(ほふ)り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。・・・
それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。
その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。
イスラエルの人々は、鴨居に小羊の血を塗ったので、神の裁きから守られます。神の裁きに恐れをなしたエジプト王は、イスラエルの民にエジプトから出て行くように命じます。小羊が犠牲として葬られましたが、その結果として、イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態から解放されました。そして自由に生きる地を目指して荒野を旅します。
イエスは、この小羊として死ぬと洗礼者ヨハネは語りました。その結果、世にいる人々の罪が取り除かれます。罪を取り除くとは、人々を罪から解放することを意味していると私は考え、また信じています。