2023-01-01から1年間の記事一覧
今日、友人からのメールに引用されていた聖書の言葉に目が釘付けになりました。それは詩編139編16節の言葉です。
モーセはネボ山に登り、イスラエルの民がこれから進む土地を見渡して亡くなりました。
主イエスは漁師たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りました。「私について来なさい」との呼びかけが私にも向けられています。
2,3日前から、老いを生きるのって重荷を負うことではないか、と思うようになりました。
創世記の3章に示された人間の罪。私たちはどのように私鉄身を向き合うのか。
何年になるのか、数えていませんが、入院生活を続けている妹がいます。・・・
5月20日は私と妻の結婚記念日。今日は外でランチを共にしました。46年の結婚生活を過ごしてきたことになります。
モーセの後継者として選ばれたのがヨシュアです。神はヨシュアに約束をしました。
讃美歌22番の歌詞が心に留まります。 めさめよわがたま この日もひねもす みくにをのぞみて いそしみはげめや
モーセは信仰の人でしたが、1回、神さまの命令に従いませんでした。
讃美歌11番の原詩の紹介
信仰には疑いがつきまとうことは当たり前のことと考えています。自分が疑い深いことは、疑い深い人に福音を語る上で、役に立つと考えてきました。
私の愛唱聖句の商会です。
僕は聖書をずっと読んできました。信仰とは神の約束を信じることだと学びました。そして神は約束を守る真実な方だと知りました。
自分が趣味としてきたことには共通点があります。なぜ、同じ共通点を持つことを趣味にしてきたのかと考えます。
モーセに率いられてエジプトを脱出し、神が与えられる地を目指して旅を始めたイスラエルの民。旅の途中、シナイ山の麓で神はイスラエルの民と契約を結ばれました。
神の呼びかけを聞き、神の約束と命令に生きたモーセ。
三つのことをアブラハムから学ぶことができると考えました。
最近の礼拝説教です。 聖書 創世記22章16~18節 ローマの信徒への手紙1章1~7節 説教 神の福音
神はアブラハムを試しました。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさい」。
今日はバードリスニングに参加しました。教会の行事で、春日山原始林の林道を歩き、鳥の鳴き声を聞くという集会に参加しました。
聖書が伝える信仰は、神の約束を大切にする信仰です。神の約束を我が身に実現させることを大切にする信仰です。
聖書が伝える信仰って何だろう、どんな特徴があるのだろう。ずっと考えてきました。一つの結論は、神との交わりに生きる信仰、これが聖書が伝える信仰だと思っています。
最近十戒が人類にとって大切な戒めであることを思わされます。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな」。
キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
朝メールをチェックしたら、神学校の関西支部の先生から訃報を知らせるメールが届いていました。
マタイ福音書の冒頭にあるアブラハムからイエスに至る系図を読み、思い巡らしました。
失敗したらもう一度やってみればいい。そしてまた失敗することです。前より上手に失敗することです。
教会が福音として伝えることは、簡単に信じることができるとは限りません。むしろ信じがたいことを宣べ伝えていると言えるのではないかと思います。
義とされた私たちが罪を犯したら、義とされたことは取り消されるのでしょうか。取り消されません。