マタイ福音書をディボーションし、み言葉を思いめぐらしています。主イエスは「こう祈りなさい」と弟子たちに祈りを教えました。マタイ 6:9~13。
天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。
主の祈りの前半は神に関わる祈り、後半は、私たちに関する祈りです。私は毎朝食事の前に主の祈りを祈ります。日曜日の礼拝の中でも主の祈りを祈ります。親しみに親しんだ祈りです。
でもうかつなことにこれまで気づかなかったことに気づきました。「わたしたち」に関する祈りについてです。主イエスは3つのことを祈りなさいと教えられました。
第一は、「必要な糧を今日与えてください」。第二と第三の祈りは一つのことを祈っています。罪に関わる祈りです。そのことに気づきませんでした。うかつでした。
第二の祈りは、私が犯した罪に対する赦しを求めています。第三は、誘惑や悪い者からの救いを祈りますが、言い換えると罪を犯さないようにとの祈りです。必要な糧を求める祈りと罪の赦しと罪を犯さないようにとの祈りです。この3つを祈れば、私たちの祈りは十分なのだと主イエスは教えています。この三つの祈りは私たちにとって必要な祈りだと主イエスは教えておられます。キリスト者とは、この三つの祈りを祈る存在なのだと教えられます。
キリスト者としての自分の姿勢が正される思いがします。こういう視点に今まで気づきませんでした。何とうかつな!でも気づかされて感謝です。