アイデンティティー
霊に従って歩むにはキリスト者である自分が何者であるかを知ることが大切です。
イエスは真理。イエスにつながる人は豊かに実を結びます。真理が私たちを罪から自由にします。
歳をとり、残された時間が少なくなっていることを思います。それで詩編を通読し、昔の信仰者の気持ちに触れたいと思いました。今日は詩編の第一編を読みました。
疑う心に対する対処法。私の場合。信仰者としてのアイデンティティー。聖書の真理性。
キリストを信じて大きく変化したのは自己理解です。キリストに結ばれ、神の子として生きる自分となりました。
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」。 キリスト者の私に神が示される地とは?
クリスチャンとは、キリストに結ばれて生きることを自覚的に選び取って生きる人のことです。救いとは神の恵みによって、キリストに結ばれることです。
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。
私の内にある問題点とは、自分を第一にする心が心の底にあるということです。私は自分を罪深いと考えます。
今日はうれしいことがありました。探していたものが見つかったのです。それは宗教改革者ルターが語った言葉です。
キリストに結ばれた非違のことを聖書は、義人、神の子、新しく造られた者と呼んでいます。
誤嚥性肺炎を防ぐために喉の筋肉を鍛える必要を考えていました。発声練習のために音程の高い歌を歌うことが推奨されていました。
クリスチャンは神の子とされました。神の子として成長し、神の国に迎えられたとき、完全な神の子とされます。
自分が罪深い者であることは忘れず、同時に神が私を神の子としてくださったことを喜び、私は神の子として歩みます。
ダメなクリスチャンはいるのでしょうか。誰の目にダメなのでしょうか。
人は関係の中に生きる存在です。関係を言い表す言葉で互いに呼びます。
わたしって誰なのでしょうか。
言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。罪を犯すクリスチャンは、神の子といってよい?
クリスチャンは聖なる人であることをめぐっての対話。
キリスト者は新しく生まれた存在です。新しい人としてどのように生きていくのか、課題です。私の答えは・・・
キリスト者は新しく生まれた人です。実感しにくいかもしれませんが、信じることが大切です。
キリスト者は神の子です。さらにキリストを着ていると言われます。すばらしい上着を着ていることになります。
キリスト者は神の子。キリスト者のアイデンティティーは神子
クリスチャンは神との間に平和を得ています。神さまと平和条約を結んでいるのです。
信仰の初心者と先輩の会話。キリスト者は神の前に正しい者であることをめぐって
信仰によって義とされたことをめぐる会話。
キリスト者のアイデンティティーに立つことから信仰者の成長の歩みが始まります。簡単な道筋を紹介します。
キリスト者のアイデンティティーを知ることが、キリスト者の歩みの真の出発点。
キリスト者はキリスト者のアイデンティティーを信じると、アイデンティティーが示す人に成長していきます。神の子として成長し、神を愛する人になります。
キリスト者は神の子です。神の子は父なる神を愛します。自分が神の子であると信じたときから、神さまを愛するようになりました。