クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

関係に生きる私たち

 人間は関係に生きるようになっています。この世に誕生すると母と父に育てられます。子供は母親を「お母さん」とか「ママ」とか呼びます。親は子供に名前をつけ、多くの場合名前で子供を呼びます。もし兄や姉がいれば、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼びます。弟や妹は、名前で呼ぶことが多いように思います。年上の人には、自分との関係で相手を呼び、年下の人には名前で呼ぶことが多いのではないかと思います。

 信仰に生きる場合、私たちと神さまとの関係はどう言い表すのがよいのでしょうか。聖書が教える信仰は、神さまとの交わりに生きる信仰です。神さまは私たち信仰者と出会い、関わってくださる方です。そこで私たちは神さまに祈り、聖書を通して神さまの御心を知ります。そして神さまの御心に従って歩む努力をします。祈りといっても単に願いごとを語るだけではなく、自分の気持ちを語り、理解してもらいます。神さまに自分の気持ちを伝えるとき、安らぎが与えられます。

 そんな私と神さまとの関係において、私は神さまのことを「天の父」と呼びます。それはイエス様が、神さまは「あなたがたの天の父」と弟子たちに教えられたからです。それでは神さまにとって私たちはどんな存在なのでしょうか。私たちは神の「子」です。だから神さまを天の父よと呼びます。

 ところで人間の親は自分の子供を評価することがあります。良い子だ、悪い子だと。それで子供も良い子になろうと努力したり、良い子になれないとふてくされたり、反抗的になったりします。自分の期待に添わない子供を受け入れない親もいます。

 関係の中に生きるとき、相手を一人の人格を持った存在として大切にすることを愛すると言います。相手がどんな行動をしているのか、どんな人間であるかに関係なく、ひとりの人格を持った存在として大切にする、それを「愛」と聖書は言います。そして神さまは、そのような愛をもって私たちを愛し、私たちを神の子として取り扱い、私たちと関わってくださいます。

 もし自分の子が、「僕は勉強ができないし、運動も苦手だし、いいところは何にもないダメな子供なんだ。お父さんやお母さんの期待に応えることのできないダメな子供なんだ」と言ったら親はどうするのでしょうか。

 親の中には、自分は一流大学を出て一流会社に就職して今の地位を築いた。自分と同じように一流大学には入れないなら、わが子ではない、などという親がいるかもしれません。しかし成績なんか関係ない、お前は私の子だよ、私の大切な子どもだよという親もいると思います。

 そして神さまです。信仰者が私は神さまの教えを守ることができません。つい罪を犯してしまいます。私は罪人です、と言ったら神さまはどう思われるのでしょうか。神さまは、「あなたは罪を犯すかも知れない。しかしあなたは私の愛する子だよ。罪人なんかじゃない」と言われると私は固く信じています。信仰に生きる人は神との関係を大切にします。

雪割草 2022.3.25 京都府立植物園