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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が教える信仰とは何か

 長い信仰生活をする中で、ああそうなのかと思うことがあります。たとえば、聖書が伝える信仰とはどのようなものか、ということです。聖書はそれを「神との交わり」と呼びますが、正確に言えば、「神との契約に生きる」ことです。歳をとり、そうだなと思います。悟ったということもできます。 

預言者エゼキエルはこう語ります。

「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(11:20、15:11)

 預言者エレミヤも語ります

「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(24:7) 

  預言者は、いつこの言葉を語ったのでしょうか。それはイスラエルの国が滅びたあとです。預言者はイスラエルの復興を語ります。復興を語る中でこの言葉を語ります。イスラエルの復興とは、単に国家が再建されるというより、イスラエルの民が神との関係に今一度生きることと言えます。 

 聖書における契約とは、神さまは「わたしはあなたたちの神となる」と約束し、イスラエルの民は「わたしたちは、あなたの民となる」と約束し、ここに契約が成立します。旧約聖書の「旧約」は古い契約という意味です。神さまとイスラエルの民が結んだ契約を言います。

 この契約において、神さまは「わたしはあなたたちの神となり、あなたたちの神として振る舞う。わたしの民であるあなたたちを愛する」と約束します。イスラエルの民は、「わたしたちはあなたの民となり、あなたの民としてふさわしく振る舞います。そしてあなたを愛します」と約束します。

 そして神も、イスラエルの民も自分の約束に誠実に生きていきます。ここに神と民の交わりが成立します。信仰とは、この交わりに生きることです。信仰とは、神を神とし、みずから神の民として生きていくということです。 

 神を神とするとは、具体的にどうすればいいのでしょうか。たとえば礼拝をささげること、神さまの教えに従うことは神さまを神とすることです。神に祈ることも神を神とすることです。神の民として生きるとは、具体的にどうすればいいのでしょうか。神さまの教えに従うこと、神さまに信頼して生きること、神さまに祈ること・・・。 

 信仰に生きる私たちは、どのように神を神とし、どのように神を信じる者として生きるかが問われます。礼拝の説教で教えられ、聖書を読んで教えられ、自分の信仰生活を築いていきます。

 このように神との関わりに生きること、それが信仰に生きることです。神さまは、神さまとの交わりに生きることを教えるために、結婚を人間に与えられました。教会で神の前に結婚式を挙げるとき、神さまの前で誓いをします。結婚もある意味、契約です。どのような契約でしょうか。 

 夫は「私はあなたの夫であり、妻であるあなたを愛します」と妻に約束し、妻は「私はあなたの妻であり、夫であるあなたを愛します」と夫に約束します。男性は、夫として振るまい、妻を愛します。女性は、妻として振る舞い、夫を愛します。 

 信仰も、結婚も、相手との交わりに生きることであり、相手を敬い、相手を愛することによって成り立ちます。長い信仰生活を送り、長い結婚生活を送ってきた今、信仰とは、神との契約に生きること、神との交わりに生きることであると心から納得できるようになりました。

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