いつの頃かはっきりしませんが、信仰とは神との交わりに生きることであるという確信が私の心の中に芽生え、根付きました。それと同時に、神は私たちをご自身との交わりにふさわしい者に変えてくださるとの思いも確信となりました。神は私を聖なる者へ造り変えてくださることが確信となり、それを求めて歩みました。
私にとって、出エジプト記は信仰とは何かを教えてくれるバイブルです。エジプトにおいてイスラエルの民は奴隷でした。奴隷の苦しみからの救いを求めてイスラエルの民は神に叫びました。神はモーセを指導者として選びました。神はモーセに言います。
出エジプト記、 6:6~7
それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
神はイスラエルの民に、「私はあなたたちの神となる」と語ります。そして「わたしはあなたたちをわたしの民とする」と語ります。
神はイスラエルの民の神として、イスラエルをエジプトでの奴隷状態から救い出します。イスラエルの民は、神の民として、神に信頼して生きていくことになります。
ここに神との関わりに生きる信仰の民が誕生します。聖書が伝える信仰は、神との関わりに生きる信仰、神との交わりに生きる信仰であることが分かります。
旧約聖書は、神との交わりに生きようとせず、偶像礼拝を行い、御利益信仰に走ったイスラエルの民のことを語ります。神と関わって生きるなんて面倒くさいし、神は自分の願いを聞いてくれさえすればよいという御利益信仰/偶像礼拝にイスラエルの民は走りました。偶像は何も話しません。
神との交わりに生きようとする人は、神を愛し、神の御心を大切に考える信仰者を目指します。主イエスは律法の中で最も大事な戒めは何ですかと聞かれたとき次のように答えました。
マタイ 22:37
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが最も重要な第一の掟である」。
この戒めは、信仰とは神との交わりに生きることであることを明確に教えています。