聖書が告げる救いを私は次のように考えています。
(1)罪からの救い
(2)神との交わりの回復
(3)キリスト者の栄光の回復
今回は、神との交わりの回復です。
アダムとエバは、取って食べてはいけないと命じられた木から実を取って食べてしまいました。罪を犯したのです。その結果、彼らはエデンの園から追放されました。その結果、彼らが失ったものがあります。とても大切なものを失いました。
何を失ったのでしょうか。彼らは神との交わりを失いました。罪を犯す前は、アダムとエバはエデンの園で神と共に生きていました。神との交わりの中に生きていたのです。何不自由なく生きていました。
しかし罪を犯した彼らは、神が近づいてきたとき、神から自分の身を隠すようになり、神を避けました。神に背を向けたのです。そしてエデンの園を追放されました。彼らは神との交わりを失いました。神なしに生きなければならなくなりました。
人は神を信じなくても生きていくことはできます。聖書に従うなら、神なしに生きる人は、自己中心的に生きる人です。利己的な人間です。そして罪を犯して生きています。
私たちの世界は、神なしに生きる人たちで満ちている世界です。あるのは混乱、争いです。平和な社会、住みやすい世界を造ろうと人間は努力しますが、努力はなかなか実りません。人は自分の正しさを互いに主張します。国家もまた自国の正しさを主張します。その結果、個人間でも、国家間でも争い、対立がなくなりません。
神なしに生きる人間に救いはありません。自己満足はあっても魂の平安はありません。さまざまな思い煩い、悩み、空しさ、死の恐れがあります。
人間の救いには、神との交わりの回復が何としても必要です。人は神との交わりの中で、幸いな歩みをすることができます。
ローマ5:1
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
アダムとエバが失った神との交わりは、イエス・キリストの贖いの死を通して、回復されました。イエス・キリストを信じる者を神は義と見てくださり、ご自身との交わりに招いてくださいました。
コリント一 1:9
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
キリストを信じて生きるとは、神との交わりに生きることです。聖書が伝える神は、人格を持つ神です。神との人格的な交わり、それが信仰です。人格的な交わりを経験するために神は私たちに結婚を与えました。結婚とは、互いの人格、心を大切にして営まれます。信仰は、神と私の間で互いの人格、心を大切にして営まれます。