クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いの試練

 今日は葬儀に出席しました。自分が牧師をしていたとき葬儀を何度も執り行いました。まだ若かったせいか、思いが及ばなかったことがあります。それは伴侶を喪った人が、どんな気持ちを抱いて独りで生活をして行くかということです。子供が独立して家庭を持っていれば、伴侶を喪うと人は独りの生活を送ることになります。

 独りの生活、これは老いの試練だと私は思います。終わることのない試練です。夫婦のどちらかは、この生活を味わうことになります。人によって営む生活は違ってくると思いますが、話し相手がいないということは寂しさや不安が伴うと想像します。ちょっとした体の不調を伝えて「大丈夫よ」と言ってもらえば、安心しますし、「診てもらったら」と言ってもらって医師のもとに行くにしても、独りではないことは平安につながります。

 以前、牧会していた教会にひとりの教会員の方がいました。この方は、夫を喪い、住み慣れた土地を離れて新しい地に転居しました。そして、私が牧会していた教会に属し、信仰生活を送っていました。その方は「イエス様が共におられるので寂しくありません」とおっしゃっていました。礼拝や祈祷会に出席し、信仰の仲間もいます。

 私は妻より5歳年長です。確率的には、私の方が先に亡くなると思います。私の母は父より先に亡くなり、父はしばらく独りの生活をしていましたが、共働きをしていた妹に子が授かり育児の手伝いを兼ねて妹家族と一緒に生活することになりました。

 独りの生活、老いの試練だと思います。でも信仰が支えになると信じます。教会の礼拝には、独りの生活を当たり前のようにして生きている方が何人もおられます。皆さんたくましいなと感じます。そう見えるだけかもしれませんが。

ムクゲ 説教奉仕した教会からの帰り道で