日曜日の礼拝は、奈良高畑教会の礼拝に出席しました。説教者は私の娘でした。娘は夫と共に牧会しています。娘の説教を聞くというのは、複雑な思いがあります。うれしい面とヒヤヒヤする面があります。それはそれとして、礼拝で賛美した讃美歌が個人的にはとてもよかったです。
一つは讃美歌8番。その2節はこうです。
神に頼る民 罪と死に勝ち
共に喜びて 代々にたたえよ
みいつたぐいなく 恵みつきせぬ
神の大御名を もろびとほめよ
ここでうれしいのは「罪と死に勝ち」です。救いの恵みとして、死に勝ち、罪に勝つことが歌われ、これを共に喜ぶのです。共に喜べたらすばらしいと思います。一緒に讃美歌を歌っていた人たちは、この歌詞をどう思って歌っていたのかと思います。
また「恵みつきせぬ」とあります。信仰者はよく「恵み」という言葉を口にしますが、その時、どんな恵みを考えているのかなと思うこともあります。自分は何を神の恵みと考えているのかは検証してもよいと思います。聖書が告げている恵みを十分受けているか否か、と。
もう一つ賛美した讃美歌は521番。
1節
イエスよ、心に宿りて
我を宮となしたまえ
汚れに染みしこの身を
雪より白くしたまえ
(くりかえし)
我が罪を洗いて
雪より白くしたまえ
3節
イエスよ、十字架のみもとに
我は伏してこいねがう
流れいずる血潮にて
罪の身をきよめたまえ
4節イエスよ、君のいさおにて
きよめられるるぞ うれしき
我を新たに造りて
君のものとなしたまえ
これは詩編51編をもとにしていると思いますが、主イエスの血による罪からの清めが歌われています。自分が罪からきよめられていく、本当にうれしいです。でもひとこと言いたいことがあります。主イエスを信じる私たちは信じたときに、新たに造られているということです。これが救いの恵みです。.これを信じることが信仰生活の出発点です。新たに造られていることを確認するのが信仰生活です。