クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

死の受容

神の目に尊い信仰者の死

先週は詩編116編のデボーションをしました。この詩篇の15節の言葉が素敵です。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価(あたい)高い」。

老人キリスト者の特権

今週は詩編90編を読んでいます。以前から黙想したいと思っていた詩編です。

人間って色々

自分は死んだら無になると考えて、平然と日々を生きることができる、そんな人がいることをあらためて知り、人間って色んな人がいることを思いました。

小坂忠さんの訃報を聞いて

小坂忠さんの訃報を聞いて心に去来した思いを書きました。

いつ死んでもいい(補足)

いつ死んでもいいという心境に近づきました。といっても死期が近くなったわけではありません。

いつ死んでもいい

「いつ死んでもいい」と題して3回目の思いを書きました。

キリストにより豊かにされた私(7)永遠を思う心

キリストによって豊かにされた私の6回目は<永遠を思う心>です。永遠を思う心が湧き上がってきたのは、年をとってからです。

死の直前の苦痛を前にして

「一人称」の死へ、というコラムを新聞で読みました。死を前にしての苦痛にどう対処するのか。

最後の敵として死

キリストの復活を語る時、ぱうろは、死が滅ぼされると語ります。どういうことでしょうか

私の終活(4) 天の故郷を熱望する

アブラハムは行き先を知らずして故郷を後にして信仰の人生に旅立ちました。彼は天の故郷を目指していました。

いつ死んでもいい

いつ死んでもいいという心境になれたみたいです。どうしてそうなれた?

三途の川?

讃美歌を原詩で歌ことには味わい深いものがあります。youtubeで英語の讃美歌を歌うのは楽しいです。

自分の死をどう考える?

新聞記事から、死の受けとめ方画人によって違うことをあらためて知りました。

死に備える

死に備えることを教えるルターの文章との出会い

なすべきことはただ一つ

私の終活をめぐっての思い。いの手与えられた聖句。

イエスの行かれたところに

イエス様が弟子たちに「わたしが行く所にあなたたちは来ることができない。後でついて来ることになる」と言われました。このせいくをおもいめぐらしました。

喜んで死ぬということ

奈良高畑教会が年一回クリスマスの時に発行する機関誌『羊群』に寄稿した文章です。テーマは「喜んで死ぬということ」。

信徒の忘れられない言葉(2)

信徒の忘れられない言葉 いつ死んでもいいです。

死ぬ準備をしています

老いを生きる私は、死ぬ準備をしていますと、近況を語りました。3つのことを私は心がけています。

私にとっての主イエス(8)死んだらイエス様のもとに

人は死んだらどこへ行くのでしょうか。イエス様のもとに行くと私は信じています。

私にとっての主イエス(6)死においても

主イエスがじゅうじかでなくなられました。それゆえ、私は自分が死ぬことを受け入れます。しゅにならうことをたいせつにしていますので。

忍び込んでくる思い

体が不調なときは、おもいがけないおもいがしのびこんできます。「しんだららくだろうな」などと。これも歳をとったからです。

人は死んだらどこへ行く?

人は死んだらどこへ行くのでしょうか。使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいたいと語り、イエス様は十字架の上で一緒に十字架につけられた人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と語られました。

晩年とは死と向き合う年

息子の家で休んでいる時、暮らしの手帖82号を読んでいた時、我が意を得たりと思える文章に出会いました。それは細谷亮太氏(聖路加国際病院小児科医師)の文章です。彼は松田道雄(小児科医、育児の本で有名)の文を引用します。 晩年とは死と向き合う年であ…

矢田丘陵にハイキング

昨日は矢田丘陵にハイキングに行きました。去年一年間は、山歩きは自制していたので、楽しみな一日でした。スミレも沢山咲いていて、恵みの一日でした。コースは矢田子どもの森、東明寺、矢田寺と進み、ここで昼食にしました。桜の木が何本も花を満開にさせ…

アブラハムを思う

家の中で荷物をずっと整理していたので、気分転換がしたくなり、午後、若草山に登りました。家から15分ほどで春日大社に着き、さらに10分ほど歩くと、若草山の登山ゲートに着きます。観光客も沢山います。中国人が多くいます。30分ほど登って山頂。帰りは春…

最善はこれから

昨日、友人から手紙が来ました。その手紙の最後に書かれていた言葉を読んで、とてもうれしくなりました。 老いゆけよ、我と共に! 最善は これからだ。 これはロバートブラウニングという人の詩に書かれている言葉とのこと。 もとの詩は、 老いゆけよ、我と…

私を迎えてくださる復活の主

主イエスは十字架に向かい、ご自分の死に向かって歩まれました。十字架の死、それは残酷な死です。見せしめの死です。その死を自ら死ぬことを選ばれました。そして十字架の上で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と祈り、亡くなられま…

死の受容(3)

芥川龍之介は『河童』という短編小説を書いています。上高地には河童橋という有名な橋があります。主人公が上高地から穂高に登ろうとして出かけます。途中で霧が濃くなり登山を中止することを考えますが、突然河童と遭遇します。その河童を追いかけるうちに…

死の受容(2)

人は自分の死をどうすれば受け入れることができるのでしょうか。死を越える希望があれば死を受け入れることができるのでしょうか。死を越える希望があれば、死を受け入れることができるように思えますが、死を受け入れることと死を越える希望を持つことは同…