クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

忍び込んでくる思い

 10年以上も前のことになるかもしれません。ある教会員の方が私に「僕はいつ死んでもいい、と思っている」と話されました。少々、驚きました。簡単に言える言葉ではない、と思ったからです。その方は持病を持っていたので、いつ何時、万が一のことが起きてもおかしくないと思っておられたのだと思います。覚悟を持っておられたのだと思います。それを言葉として私は聞いたことになります。

 このことを今日思い出しました。月曜から喉に違和感を感じています。体はだるいです。できるだけ何もしないでゆっくり過ごしています。咳が出ます。日曜までに治ればよいと思っています。その次の日曜日は説教奉仕がありますので、日曜までには何としても治りたいです。

 体にだるさを覚えるせいか、ふと死んだら楽になるだろうな、との思いが忍び込んできました。神さまのもとに行くのだからそれはそれでいいなと思ったりしました。歳のせいですね。でも私はいつ死んでもいいとは思っていません。そのような心境にはまだ達していません。自分の死を喜んで受け入れるという課題は、継続中です。喜んで歳をとり、喜んで死ぬという願いは欲張りでしょうか。

 自分の死を受け入れることができる一つの理由は、イエス様が亡くなられたからです。イエス様が死なれた以上、私も死ぬのを拒む理由はありません。わが主に倣う、これが私の信条です。イエス様に従おうとする私も、イエス様にならって死ぬと、死を位置づけています。仕方なく死ぬのではなく、イエス様に倣って。イエス様が通った道は私も通るのです。そして、イエス様に倣って復活するとの希望を抱きます。