クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2018-01-01から1年間の記事一覧

神さまをどう考えるか、それが問題

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 イエス様がザアカイの家に入ったことを見てつぶやいた人たちがいます。彼らは神を信じています。神さまは罪深い者を…

「老い」を感じる日

寒いのに花を見せてくれます 久しぶりに「老い」を感じる日を過ごしました。一つには新聞で孤食という言葉を目にしましたことです。その記事には「老いて『孤食』と付き合う」との見出しがついていました。その記事では、妻を亡くした男性が夕食をいつも駅近…

信仰者は新しい人と告げる聖書

イエス・キリストを信じる私たちは神さまによって新しく生まれた存在です。そのことを示す聖書の言葉を列挙します。あなたがどう思おうと、聖書はイエス・キリストを信じる信仰者は新しい人であると告げています。 この人々は、血によってではなく、肉の欲に…

難儀やね~

前から私の右足の親指は巻爪でしたが、少しひどくなってきたなと感じました。問題は歩き方であり、そのために靴を新しくする必要を感じました。奈良市内にある靴屋をネットで調べると「○万円出せばおつりがきます」と書かれていて、驚きました。足の健康を考…

違和感を放置しない

最近一つの教訓を得ました。10月最初に風邪を引きました。医者に行き、薬を処方してもらい一週間ほどで治りました。しかし、喉に痰が少しある感じが続きました。でも風邪は治ったのだからと放置をしました。そのうち、咳も出なくなり治ったようでした。11月…

マリアは私

信仰者は新しく生まれた存在。戸惑いを与える教えかもしれません。信仰者は新しく生まれた存在、これは神さまの約束です。神の約束を信じる、これが聖書の信仰です。今はクリスマスシーズンなので、主イエスの母マリアのことを考えます。 天使がマリアを訪れ…

あなたは新しく造られた信仰者?

罪の告白の祈りを聞いて、「あなたはイエス・キリストを信じ、自分が新しく生まれ変わったこと、新しく造りかえられたことを信じていますか」と問いたい気がします。いきなり問うのは、ぶしつけで相手に対して失礼になるような気がしますので問うことはしま…

真剣な悔い改めがない

礼拝における司式者の祈りで罪の告白の祈りについて問題を感じると書きました。その問題点の第一は、真剣な悔い改めがないということです。同じような罪の告白の祈りが毎週なされるということは、真剣な悔い改めがなされていないことを明らかにしています。…

私たちのうちに潜む問題

あれは金沢元町教会に赴任して間もない頃でした。僕が56歳くらいのことだったと思います。牧師になったのが35歳だから、およそ20年後のことです。ある集会で講師が礼拝の司式者の祈りについて言及しました。わたしたちの教会では、長老あるいは役員が司式を…

風邪の後に来るもの

風邪は治りました。熱は平熱になりました。しかし、鼻水が出続け、痰らしきものが出続けます。実は10月も風邪を引き、治った後、いつまでも喉に痰らしきものが残り、咳が出続けました。症状的には、大したことがなく、気にしませんでした。今回は、おそらく…

風邪は宣教の敵だった!

風邪を引いてしまい、一週間苦しみました。和歌山県のG教会での説教奉仕は、説教原稿をメールで送り、代読してもらう形を取りました。いつもの風邪か、と思った火曜日、かかりつけのクリニックに行き、薬を処方してもらいました。しかし週末に熱が急に上がり…

アイデンティティー(10)

アイデンティティーを考えていくときに直面するのは、私たちの罪です。恵みとしてアイデンティティーを受け取り、応答として、アイデンティティー通りの人間として生きようとするとき、そのことに抵抗する思いが、私たちのうちに働きます。こうして私たちの…

アイデンティティー(9)

私は「神の子」というアイデンティティーを大切に思っています。アイデンティティーには二つの面があります。一つは、神さまが私たちのことをアイデンティティー通りの存在と見てくださるという面です。これは福音、恵み、と言うことができると思います。も…

アイデンティティー(8)

私が大事にしているアイデンティティーの一つに「神に属する者」があります。イエス様がファリサイ派の人たちに語った言葉があります。ヨハネ福音書8章の言葉です。 わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く…

東京に行ってきました

月曜から東京に行ってきました。目的は妹の見舞いです。私は三人兄妹で、二人の妹がいます。みな子供たちを独立させて老いの段階に入っています。上の妹が病を得て今は施設で生活をしています。 彼女は小学校の教師を定年まで勤めました。途中から障がいのあ…

アイデンティティー(7)

今日は和歌山県のG教会への礼拝説教奉仕でした。よい天気で気持ちのよい旅ができました。帰り大阪の天王寺駅から奈良行きの大和路快速に乗り、思いめぐらしていると前の席に座っている男性が「この電車は関空(関西空港駅)に行きますか」と聞いてきたので…

アイデンティティー(6)

自分はアイデンティティどおりの人間である、これが「私」についての真理です。 信仰者としての私のアイデンティティーは、現実の私、実感できる私とは違っています。私は神の子、正しい者、世の光、地の塩、神のもの、といっても、そうは思えないと感じ、自…

徒手空拳の働き

ロイドジョンズというイギリスの牧師のロマ書講解はすぐれた本です。ロマ書の理解に不可欠な本だと思っています。ロマ書の説教をするときには手放せない本です。先日この書物を日本語に訳してくださった方に感謝のメールを送りました。どうしてもひと言、感…

アイデンティティー(5)

アイデンティティーを意識した最初の説教は、金沢にいたとき、地区の集会で行ったように記憶しています。聖書はマタイ福音書5章の言葉を取り上げました。 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。…

アイデンティティー(4)

信仰問答書と呼ばれる本があります。私たちは何を信じるのかを教える本です。私が一番親しんだのはハイデルベルク信仰問答です。一番目の問答は有名です。 問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。 答 わたしがわたし自身のものではなく…

緊急地震速報が・・・

昨日夕方、双子ちゃんの見守りから帰ってきてやれやれと一息ついていると携帯がブルブルと尋常でない振る舞いをし、緊急地震速報を受信しました。地震が来るのか、とかなり緊張しました。どうしたらいいのか、なすすべも分からず、居間の真ん中に座り、テレ…

アイデンティティー(3)

キリスト者のアイデンティティーを知って、私の心は落ち着いたように思います。 私は二回、劣等感を抱いたことがあります。大学時代、牧師になってからです。大学生の時、大学紛争が起こり、クラスで討論会がしばしば開かれました。その時、具体的な意見を持…

アイデンティティー(2)

神さまはご自分のアイデンティティーを明らかにされます。神さまは、アイデンティティーどおりのお方です。神さまは信仰者のアイデンティティーを語ります。信仰者のアイデンティティーは、「正しい人間」「神の子」です。しかし私たちの存在は、アイデンテ…

アイデンティティー

「アイデンティティー」という言葉は、教会よりも世間でよく使われているように思います。私はこの言葉は信仰を考える上で大切な言葉だと考え、説教でも用いますが、だれもが聞いてすぐ理解できる言葉ではないので、使うことにためらいは感じます。だからい…

いのちあふれる集い

教会では週の半ばに祈祷会を持つことが多いと思います。私は牧師として働いているとき、祈祷会での聖書の学びについて工夫をしました。聖書を読むことについて、参加者が受け身になるのではなく、主体的になることを願いました。ですから私の方から聖書の解…

満ちあふれる恵み

最近思うことは、福音の奥深さをどれほど自分は知っているのだろうかということです。福音の広さ、長さ、高さ、深さを知りたいとの思いがあります。牧師の働きからは隠退しましたが、聖書は読み続け、内容を追求していく心に変わりはありません。昨日説教の…

確信を持って信じられるか

10月14日(日) G教会で説教した録音を右のリンク「隠退牧師holalaの説教」で公開しました。時間のあるときに聞いてもらえるとうれしいです。 聖書が告げる終末のこと、あるいは死後の希望についての聖書の約束を私たちは100%の確信を持って信じたいとの思い…

教会を支える真の中核はいつも・・・

最近、『バルラハ~神と人を求めた芸術家』(小塩節著)を読みました。心に残る文章がありました。 「ヨーロッパ社会全般にキリスト教離れが語られている。事実、教会の礼拝出席者数も減少している。1989年秋に旧東独の終焉をひきおこしたベルリンの壁の崩壊…

無力な存在に寄り添う方がいる

昨日、孫の見守りに娘のところへ行きました。天気もよかったので双子の赤ちゃんを双子用のベビーカーに乗せて一緒に散歩をしました。僕が童謡を歌ったりすると、孫たちも何か声を出し、歌を歌っているようでした。散歩を終えて帰ったときに気づいたのですが…

いのちあふれる集い

いのちあふれる集いというといささかオーバーな表現に思えるかもしれません。振り返ってみるとそういう集会だったと思えるのです。それは私を含め三組の牧師夫妻の交わりで、ディボーションの分かち合いを主とした集いでした。ディボーション、それは聖書を…