信仰問答書と呼ばれる本があります。私たちは何を信じるのかを教える本です。私が一番親しんだのはハイデルベルク信仰問答です。一番目の問答は有名です。
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答 わたしがわたし自身のものではなく、体も、魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
(『ハイデルベルク信仰問答』、吉田隆訳、新教出版社)
ここには、私たち信仰者のアイデンティティが書かれています。私たちは、「イエス・キリストのものである」というアイデンティティーです。このアイデンティティーに生きている人は、生きるにも死ぬにも慰めを受け取ることができるというのです。
宗教改革者のカルヴァンが書いたジュネーブ教会信仰問答はこうです。語り口調としては標準的な信仰問答だと思います。
問1
人生の主な目的は何ですか。答
神を知ることであります。
わたしが大きな驚きをもって受けとめた信仰問答書は『わたしたちは神さまのもの』(アメリカ合衆国長老教会著、一麦出版社)です。アイデンティティーの大切さを教えてくれました。
問い1
あなたは誰ですか。答え
わたしは神さまの子どもです。
この問答は直球で、クリスチャンとはどんな存在を言うのか、問いかけます。クリスチャンのアイデンティティーを問うのです。私たちは神を信じる信仰者ですが、同時に、自分が何者であるかを信じる者なのです。神さまの目に自分はいかなる存在なのかを信じるのです。神さまを信じて信仰生活が始まるように、自分が何者であるかを信じることによって、信仰者としての歩みが始まります。この信仰問答を私は洗礼準備会で何回か用いました。
問い2
神さまの子どもであるとはどういうことですか。答え
わたしが、わたしを愛してくださる神さまのものだということです。
ここには、神の子というアイデンティティが、「神さまのもの」というアイデンティティーに置き換えられています。
問い3
あなたはなにによって神さまの子どもになりましたか。答え
恵みという「神さまの自由な愛の贈り物」によってです。わたしはそれにふさわしくありませんし、自分の努力で勝ち取ることができません。
私たちは「神の子」にふさわしくないのに神の子とされる、それは恵みだと教えられます。自分の現実はふさわしくないのに、神の子というアイデンティティーを喜ぶことができるかどうか。わたしは喜びます。喜ぶ方を選択します。
問い4
神さまに愛されるためには、「良い子」にならないといけないのですか。答え
いいえ、わたしがどんな子だっても、神さまは愛してくださっています。
私はこれを読んでうれしくなります。クリスチャンのアイデンティティーを喜んで受け入れるとき、私たちは生まれ変わります。