日々の思い
ウクライナとガザ。平和が遠いです。そんな中で考えること。多くの人が祈っているのに神は何をしているのか、罪は人の命を奪う、イエス・キリストの十字架こそ救い、
私は近年、この世界が何と罪に満ちあふれていることかと感じます。あるいは罪がいかに人間を支配しているのかと思い知らされます。
イエスの弟子トマスのことを誤解していたことに気づきました。私はトマスと違って信じる心と疑う心が同居しています。
朝、テレビを見ていたら、大谷翔平選手の会見が開かれました。大谷選手の心を思います。
若きらが 親に先立ち 去(い)ぬる世を 幾世し積まば 国は栄えむ 心に響きます。
新聞の記事で見た、つらい中にある人たちの言葉。
13年前の大震災を思い、最近の出来事をも思い、時に複雑な思いに導かれます。
最近よく賛美するのが、讃美歌224番です。人命が戦争で奪われていく現実を覚えながら、歌っています。
1月3日の朝日新聞に「答えを急がない力」と題して二人の方のインタビュー記事が掲載されていました。ネガティブ・ケイパビリティ。
讃美歌「新しい年を迎えて」が聞こえてきて、歌詞が心の中には言ってきました。「・・生き方を 今年はしよう」。
今年を振り返っての思いを書きました。
信仰に生きる時、疑いという影がつきまとうものだと考えてきました。でもふと思うのです。なぜ疑う心があるのだろうか。
昨日は一ヶ月ぶりにA教会の礼拝に説教奉仕をしました。教会に着くや役員の方から、訃報がありますと言われ・・・。
信仰生活を始めてから、私には分からないことが二つありました。聖書をどう読んだらいいのか、祈りはどう祈ったらよいのか、です。
i祈りにむなしさを覚えるときがあります。どうしましょう?忍耐強く祈ることが大切かな
神は、人間に自由を与えたので、原則として人間の行動を妨げることはしないと。それを踏まえて祈りました。
ひとりごと
サイードが求めたのはイスラエルとパレスチナという二つの国家ではなく、ユダヤ人もパレスチナ人も互いに相手の存在を認めるひとつの国家をつくることだった。
「天国に一つだけ思い出を持っていけるよ」と言われら・・・. 自分はどの思い出を選ぶのか。
新しく便利な道具が出てきます。色々な場面で機械化、自動化がなされています。老いた者には利用することへの不安、ためらいが生まれます。
「その時は来る」という言葉が、若い時から私の心の中にあります。どんなに遠いように見えても、その時は必ず来ることを体験しました。
マタイ福音書で離縁についての主イエスの教えを読み思いめぐらしました。長年の結婚生活に対する神さまの支えに感謝しました。
讃美歌536番 むくいをのぞまで。この讃美歌に叱られるような思いをしました。
最近、気になっている聖句。 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが」。
そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。神が自分を顧みてくださることの不思議が告白されています。
祈祷会で聖書を共に読み感想を分かち合うとき、失敗しました。説教者目線で聖書を読んだために感想が湧いてきません。
奈良高畑教会ではファミリーコンサートが行われました。ある家族が歌った曲が特に心に残りました。「にじ」という曲です。
昨日のブログで、最近憂鬱になっていることとその理由を書きました。今日阿、神さまから泣き言を言うなと言われたような思いです。
この数日、気分が落ち込みました。理由ははっきりしています。私たちが生きているこの社会、この世界が十戒を蹂躙している社会であることを思い、憂うつになりました。
先日、無牧の教会の礼拝説教奉仕をしました。 旧約 詩編 23編 新約 ローマ 1:1~7 説教 私たちはキリストのもの