日々の思い
他者と自分を比較してのさまざまな違い、それは神の恵みに下に置かれたとき、小さなものになります。理想の自分と現実の自分の違い、それも神の恵みに下に置かれたとき、小さなものになります。
夫婦二人の生活、一日の終わりに感謝できる日々はとても貴重。
私が明るく輝く木の姿に感動するのは、木々が信仰に生きる自分の姿を映しているからかもしれません。
ロシアの軍事侵攻に直面して考えさせられたことがあります。
教会でバッハのマタイ受難曲を聴く会が開かれ参加しました。貴重な体験でした。
老いの生活は達成を目指すのではなく、日々の生活を感謝をもって終えることに目標をおけばよいと知ります。
月曜日朝の憂うつ。正体を見極めて対処しよう。
ぼんやり時を過ごしていると、自分は何をしているんだろうというような思いが湧いてきます。
ロシアがウクライナに軍事侵攻したとのニュースが世界中を震撼とさせました。大国が自国の都合で他国に侵略することは許されないと考えます。
最近のささやかな、そして思いがけない恵の紹介。
私は信仰を持つときには、それが信じるに足る根拠がなければならないと考えました。
老いを生きる者の思い。死と向き合う思い。
讃美歌は、折に触れ、私たちを励ましてくれる友です。
一つの思いにとらわれ、その思いから抜け出ることができず、思いがけない行動をし、自滅の道を歩む人を見るようになりました。
訃報を受け取ると、死が足音を響かせて迫って来るような気がします。そのような時は・・・
新しい年の願い。目標となる聖句。
当たり前の毎日を当たり前として受けとめるのではなく、かけがえのない一日と受けとめたいと思うこの頃です。
野菊という文部省唱歌。その3番の歌詞には心惹かれるものがあります。
自分の不明を恥じて、残りの人生の課題を知る。
今まで内に秘めていて言葉にしていなかった思いがありました。今それを言葉に出して言います。
ガラテヤ 6:14 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。 強烈な聖句です。
使徒パウロは、自分が使徒であることをどのように弁証しようとするのでしょうか。
野の花は精一杯自分の花を咲かせています。それでは、私はどんな花を咲かせているのか。
アフガニスタンにおける自爆テロとアメリカの報復。犠牲者が出たことをどう受けとめるのか。
説教で使いたいたとえの紹介。神さまはキリスト者の心に「神の子」という種を蒔かれます。
ストレッチをして筋肉の衰えをゆるやかにし、健康を保つのも大切なことですね。
老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。
神さまに与えられた賜物を認めることは大切だと思います。私に与えられたのは追求する心でした。
説教の原稿のチェックをつまにしてもらっています。妻の指摘は厳しいが・・・
神さまになぜ、という問いを投げかけ、心が神さまから離れていくときがある。