日々の思い
今日は録画しておいた、イギリスの故エリザベス女王の葬儀を見ました。
自分は死んだら無になると考えて、平然と日々を生きることができる、そんな人がいることをあらためて知り、人間って色んな人がいることを思いました。
人間の生活は習慣から出てきているように思います。よい習慣を作ることはよい人生を生きることにつながります。
今日の出来事。
日曜午後、双子の孫と一緒の時間を過ごしました。
祈祷会で賛美した讃美歌に共通点が。
テレビで統一教会のことが話題となっています。私の人生に無関係なな団体ではないことを思い出します。
コロナ禍、実現できなかった妹を見舞うことができました。
用事があって東京に行ってきました。東京出身の私ですが、人の多さに驚くと同時に、沢山の人たちの中のひとりでしかない自分を感じます。
ふっと思い出したのが助けを求めて叫ぶイスラエルの民のことです。私たちの世界でも、助けを求める叫びが聞こえます。
神の約束に生きる信仰者の気持ちを思いめぐらします。
礼拝奉仕をしたあと羊飼いについて思いが湧いてきました。
梅雨間近のこの季節、年を重ねた今、気温の変化が微妙に体に影響を与えます。
他者と自分を比較してのさまざまな違い、それは神の恵みに下に置かれたとき、小さなものになります。理想の自分と現実の自分の違い、それも神の恵みに下に置かれたとき、小さなものになります。
夫婦二人の生活、一日の終わりに感謝できる日々はとても貴重。
私が明るく輝く木の姿に感動するのは、木々が信仰に生きる自分の姿を映しているからかもしれません。
ロシアの軍事侵攻に直面して考えさせられたことがあります。
教会でバッハのマタイ受難曲を聴く会が開かれ参加しました。貴重な体験でした。
老いの生活は達成を目指すのではなく、日々の生活を感謝をもって終えることに目標をおけばよいと知ります。
月曜日朝の憂うつ。正体を見極めて対処しよう。
ぼんやり時を過ごしていると、自分は何をしているんだろうというような思いが湧いてきます。
ロシアがウクライナに軍事侵攻したとのニュースが世界中を震撼とさせました。大国が自国の都合で他国に侵略することは許されないと考えます。
最近のささやかな、そして思いがけない恵の紹介。
私は信仰を持つときには、それが信じるに足る根拠がなければならないと考えました。
老いを生きる者の思い。死と向き合う思い。
讃美歌は、折に触れ、私たちを励ましてくれる友です。
一つの思いにとらわれ、その思いから抜け出ることができず、思いがけない行動をし、自滅の道を歩む人を見るようになりました。
訃報を受け取ると、死が足音を響かせて迫って来るような気がします。そのような時は・・・
新しい年の願い。目標となる聖句。
当たり前の毎日を当たり前として受けとめるのではなく、かけがえのない一日と受けとめたいと思うこの頃です。