クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

日々の思い

結婚生活46年

5月20日は私と妻の結婚記念日。今日は外でランチを共にしました。46年の結婚生活を過ごしてきたことになります。

なぜ、この趣味?

自分が趣味としてきたことには共通点があります。なぜ、同じ共通点を持つことを趣味にしてきたのかと考えます。

バードリスニングに参加

今日はバードリスニングに参加しました。教会の行事で、春日山原始林の林道を歩き、鳥の鳴き声を聞くという集会に参加しました。

濃い霧の朝

今朝起きたら久しぶりの濃い霧。周りが見えません。この見えない風景を見ていると一つの聖句が思い出されました。

老人と生き甲斐

老人とのしての私は明日死ぬことになっても当然だという思いを持ちながら、しかしまだその時ではないとの思いを抱いています。・・・

生きること、生活すること

今は平凡な毎日を過ごすだけとなりました。何か特別な生きる目的があるわけではなく、生活することが生きることとなりました。

ユーチューブと賛美

私自身は、ユーチューブを通して、賛美との出会いがあります。ユーチューブがなければ出会わないであろう賛美の歌との出会いは、うれしいです。

礼拝説教奉仕

4月から無牧の教会の礼拝説教奉仕が始まることになりました。福音を説教し、教会員の皆さんを励ますことが私に与えられた使命と受けとめ、祈りつつ、聖霊の導きを求めつつ、説教奉仕をする予定です。

味わう楽しみ

最近、味わうことを楽しみとするようになったようです。聖書、料理、讃美歌。

詩編139編を読んで

今週は詩篇139編を黙想しています。この詩篇には印象に残る言葉があり、親しみを覚えています。きちんと読んで黙想するのは今回が初めてです。

呼びかける神の声

先日讃美歌392番を歌ったとき心が震えました。 神のみ声は 昔のごと 今なお人を 召したもう 囚われし民 悩む者を 救う使いの 世にはなきか

澄み切った心

今日、友人から送ってもらったモーツァルトのピアノソナタのCDで音楽を聴いていました。集中して聞いて、聞き終わったとき、心が洗われたような、澄み切った心になっているのに気づきました。

怠慢の奴隷?

自分は怠慢の奴隷なのだと思いました。した方がよいと分かっていてそれができないのは、何かの奴隷だと私は考えています。

十字架のくしきひかり

十字架のくしきひかりを見るとはどういうこと?

年初の志し

この世で何が起きようと神さまを讃えて生きていきたい、それが年初の志です。

永遠を思う心

年末になると思うことがあります。終わりがあること。自分の人生に、そしてこの世界に。

生活を楽しむ

最近、感謝して生活を楽しむことも御心に適うことではないかと考えるようになりました。

主と共にある平安の日々

月曜日のブログに「毎日単調な日々を過ごしていると、ふと自分は何のために生きているのだろうという思いが心をよぎります」と書きました。新たな思いが来ました。

老いの中にあって

先日眼科医に行き、眼瞼下垂の症状があることに気づき、紛れもない老化の現実を見る思いがしました。

墓前礼拝にて

墓前礼拝での死をめぐっての孫とのやりとりの紹介です。

訃報が続く

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。訃報を聞くことによって何が始まるのでしょうか。

老いの日々

先週は頭痛に悩みました。ストレスが原因らしく、ストレス発散のために、山里に出かけ、ウォオーキング。

故エリザベス女王の葬儀

今日は録画しておいた、イギリスの故エリザベス女王の葬儀を見ました。

人間って色々

自分は死んだら無になると考えて、平然と日々を生きることができる、そんな人がいることをあらためて知り、人間って色んな人がいることを思いました。

生活と習慣

人間の生活は習慣から出てきているように思います。よい習慣を作ることはよい人生を生きることにつながります。

胸がいっぱいに

今日の出来事。

日曜の午後

日曜午後、双子の孫と一緒の時間を過ごしました。

信仰者にとっての讃美歌

祈祷会で賛美した讃美歌に共通点が。

統一教会で思い出すこと

テレビで統一教会のことが話題となっています。私の人生に無関係なな団体ではないことを思い出します。

家族

コロナ禍、実現できなかった妹を見舞うことができました。