老人とのしての私は明日死ぬことになっても当然だという思いを持ちながら、しかしまだその時ではないとの思いを抱いています。昔の歌人、在原業平はこんな歌を詠んでいます。中学生か高校生の時に出会った歌で忘れることができません。
ついにゆく道とはかねてききしかど
きのふけふとはおもはざりしを
彼のように突然自分の死の迫りに直面してあわてふためくことは私にはないと思います。自分は死ぬ存在であるということがいつも頭の中にありましたから。その時が来たら覚悟を決め、最後の時を迎えると思います。
残された時間に限りはありますが、それがどれほどかは分かりません。今さら、何かを成し遂げようとの思い、計画はありません。でも無為の内に老いの日々を過ごすわけではなく、小さな目標、小さな生き甲斐を持っています。
それは聖書にあるローマの信徒への手紙を少しでも理解するという願いです。牧師として働いているとき、このロマ書を説教することはヒマラヤに登るような気がして、簡単には取り組めませんでした。この手紙は、ある意味で信仰者の信仰を問う手紙で、お前にはまだ私は理解できないよと語りかける手紙です。
年齢を重ねた今、チャレンジできるようになったと感じ、今ロマ書を勉強しています。どこまで勉強し、説教できるか分かりませんが、このロマ書から説教して福音を伝える機会が与えられることを願う日々を過ごしています。
すてきな香りを放つスミレです。今年も咲いているか知らんと思いながら散歩をしています。今年も咲いてくれたね、ありがとう、と幸せを感じます。