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隠退牧師 holala によるブログ

神さまに対する親しみ

 イエス様はゲッセマネの園で祈られました。マタイ福音書にはこうあります。

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。

この「父よ」という呼びかけですが、ギリシャ語の原文では「私の父よ」となっています。日本語に訳す時、「私の」がカットされています。マルコ福音書では

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」

と祈られました。この「アッバ」は幼児が父を呼ぶ時の呼び方で「おとうちゃん」という呼び方に相当すると言われます。

 福音書を読んでいて感じる一つのことがあります。イエス様にとって父なる神さまはとても親しい方であるということです。イエス様は父なる神さまに親しさを感じているということです。

 そしてマタイ福音書の5~7章でイエス様は、「あなたがたの天の父」と何度も繰り返しています。イエス様は私たちに向かって、神さまは「あなたがたの天の父なのですよ、天の父に親しみを覚えていいんですよ」とおっしゃっているような気がします。だからといってすぐに天の父なる神さまに親しみを覚えるわけではありません。そこで私はイエス様が父なる神さまに親しさを覚えていることにうらやましさを感じます。

 ヨハネ福音書においてイエス様は、私は父のもとから来たと語り、父のもとへ帰ると話されています。父のもとにおられたのなら親しさを感じていても当たり前です。マタイ、ルカ福音書は、イエス様がマリアから生まれたと書かれており、人間として生まれ、人間として生活をされました。どこで、どうやって父なる神さまに親しみを覚えたのだろうか、と考えますが、答えは分かりません。主イエスは真の人であり、真の神ですので、神の部分で父なる神との霊的な交わりがあって親しさを抱いておられたのかもしれません。

 それはそれとして、私も父なる神さまと親しい関係になりたいと願っています。どうしたらいいのでしょうか。見知らぬ人に親しみを感じることはありませんから、聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知る努力をしています。それなりに天の父なる神さまのことを知るようになりましたし、神さまの教えの背後にある神さまの思いも知るように努力してきました。そして父なる神さまに信頼して生きてきたと思いますが、「親しみ」を感じているのかどうか。私は頭で生きてきた部分があるので、頭で神さまと関わっているような気がします。それなりに本心をぶつけて祈ってはいるつもりですが、親しさは今ひとつです。

 イエス様が父なる神さまに親しさを感じるのはうらやましいです。

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