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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が語る救いについて(2)神に導かれる人生を生きる

 新約聖書の福音書にはイエス様の活動が書かれています。マタイ福音書によれば、イエス様は次のように語り宣教活動を始められました。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)。

 マルコ福音書では、

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:17)

 ルカ福音書でイエス様は次のように語っておられます。

「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」(4:43)。

 神の国とは、神の御支配を意味します。イエス様は、神の御支配の中を生きるように人々を招かれたのです。興味深い物語があります。イエス様が重い皮膚病を患っている10人を癒やされる物語です(ルカ17:11以下)。

ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

 癒やされてイエス様のもとに戻ってきたのはたった一人だけでした。その他の人たちは、自分の住んでいる村に戻ったと思われます。イエス様の到来は、神の御支配の到来を意味します。イエス様と共に神の御支配が現れ、重い皮膚病の人たちは癒やされました。自分の病気が治りさえすればよいと思った人たちはイエス様のもとに戻りませんでした。病気が治れば、もうイエス様は関係ないのです。たった一人だけがイエス様のもとに戻ってきました。

 病気の癒やし、悪霊を追い出してもらえるという体験は救いですが、それは一つのきっかけです。神の国、神の御支配の中にこれから生きていこうとするきっかけなのです。イエス様は神の国の福音を宣べ伝えられました。つまり神の御支配の下に生きるように人々を招かれたのです。言い換えると神に導かれる人生を歩むように招かれたのです。神の用意された未来に生きるように招かれたのです。

 昔イスラエルの民がエジプトにおける奴隷状態から救い出されました。これは一つのきっかけです。神さまは彼らに未来を用意しておられました。つまり神が用意された土地で自由に生きることのできる未来です。そこでエジプトを脱出した民は、その地を目指して旅をしました。神に導かれる人生を歩み出したのです。そこで必要なことは神に信頼することでした。神の導きを信じ、どんな困難があっても神に信頼することでした。
 しかし困難が起きるとモーセに文句を言い神に不平を言った人たちがおり、この人々は神の用意された土地に入ることはできませんでした。彼らは、神に導かれる人生を歩もうとはしなかったのです。自分の人生は自分の思うように生きるという姿勢でした。困難を強いられるのは真っ平御免なのです。イエス様によって重い皮膚病が癒やされた9人の人はイエス様のもとに戻らず、自分の思うように生きようとしました。病気が治れば、もうイエス様は無関係なのです。

 本当の救いは、神が導かれる人生を歩むことであると私は信じます。奴隷状態からの解放、病気の癒やし、悪霊からの解放、これらはいわば神との出会いであり、一つのきっかけです。この神との出会いは、神の恵みとの出会いです。神の恵みと出会ってどうするのか。自分の問題が解決したので、後はまた自分の思い通りに生きようとするのか、それとも神の恵みに身をゆだね、神が導かれる人生を歩もうとするのか。

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早咲きのスミレ


 神が導かれる人生を歩む、それが救いであると私は信じます。