私たちが罪の支配から自由になるために四つのポイントがあります。
- 自分の無力を認めること
- 神の力に信頼すること
- 支配領域の外に出ること
- 解放を願う意志を持ち続けること
罪に打ち勝つには私たちは自分が無力であることを認めること、次に神の力への信頼です。キリスト者の場合は、キリスト者はキリストに結ばれ、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きることを指摘してきました。キリストに結ばれる、これが大切です。今回は第三のポイントです。
エジプトで奴隷状態であったイスラエルの民を神は、エジプトから脱出させました。つまりエジプト王の支配領土の外に連れ出したのです。領土外であればエジプト王の力は及ばず、その支配から解放されることになります。
キリストはご自身に結びつけたキリスト者を、ご自分のいるところにいるようにします。キリスト者はキリストと共にいるのです。そのことを聖書は、キリスト者は「恵みの下にいる」と書いています。
ローマ 6:14
あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。
キリスト者は律法の支配下から、恵みの支配下に生きる場所を変えます。つまり律法の支配の及ばない恵みの支配下に生きるようになったのです。その結果、罪から解放されます。
罪の支配=律法の支配と考えることができます。律法が「しなさい」と言えば、人は「したくない」と言い、律法がするなと言えば、「人はしたい」と言い、結局自分の思いを遂げます。つまり罪を犯します。人とはそういう存在であることを創世記3章のアダムとエバが神の戒めを破って、とってはならない木の実を食べた物語が教えています。このアダムとエバはあなたであり、また私のことです。
律法が支配するところ、罪の支配が生じます。しかしキリストを信じる者はキリストに結ばれ、キリストのおられるところ、つまり恵みの支配下に生きることになります。その結果、罪の支配から抜け出るのです。
主イエスが活動を始めたとき、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と声を上げられました。神の国は神の御支配を意味し、神の御支配の下に生きるように招かれました。神の御支配の下に生きることができる、それが福音です。