クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰者の成長

キリスト者は新しい存在

キリスト者は新しい存在であることをめぐっての会話

教会内での信仰の継承

教会における信仰の継承とは何でしょうか。信仰の証しを行い互いに信仰の成長をする仕組みを考えてみませんか。

「子供」から「若者」へ

信仰者としての成長段階としての「若者」は御言葉を行う人、キリストの力により強い人です。

神の教えに従うということ

神の教えをを知っていることと神の教えを守っていることとは別です。この区別をはっきり知ることが大事だと思います。

信仰者の衣替え

信仰者にも衣替えが必要です。古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るのです。

子と父と若者(続きの続き)

成熟した信仰者とはどのような人を言うのでしょうか。神の救いの計画に生きる人です。

子と父と若者(続き)

真個須屋の成長の段階を示す、子と父と若者。聖書の言葉は思いめぐらすと面白い。

子と父と若者

聖書は信仰者の成長には段階があることを伝えています。子、若者、父で段階を表現しています。

信仰者の成長

信仰者は成長する存在であることを聖書から確認します。少しでも成長することを喜びたいです。

肉と霊の戦いに勝利する

肉の思いに勝利し、罪に打ち勝つために必要な二つのもの。信仰の決断と、御言葉を喜ぶこと。

神の教え・戒めの受けとめ方

神の教え・戒めは何のために与えられているのでしょうか。それは私たちの祝福のためだと考えます。

信仰者の直面する二つの現実

キリスト者が直面知る二つの現実があります。文字通りのリアルな現実。今ひとつは霊的現実。霊的な現実を信じるところから信仰生活が始まります。

勝利の道は目の前に

罪との戦いに勝利の道が用意されています。必要なのは決断です。

キリスト者は決断をして生きる

信仰者の心の中の戦い。勝利する道は信仰者の決断です。

わたしはなんとみじめな人間なのでしょう

わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

霊に従うか、肉に従うか

キリスト者として生きようとすると葛藤が起きます。神の教えに生きようとする思いとそれに反発する思いが心の中でぶつかるのです。

肉の人と霊の人

キリスト者には肉の人と霊の人がいます。霊の人になることが信仰者の成長を意味します。

罪へ誘う勢力を認めて戦う

罪へと私たちを誘う勢力を認めると、罪との戦いが生じますが、勝利が約束されています。

罪へ誘う勢力を認める

罪との戦いを考える時、私たちに罪を犯すように働きかける力のあることを認めることが大切です。

肉の現れ

キリスト者も肉の業への誘惑の中にいます。肉の業から自由になれない現実があります。

肉とは何か

肉とは生まれながらの人間の性質で罪とは切り離せない者です。

罪との戦いに備える

罪に勝利するために聖霊の助けが必要であり、罪と闘う決心が必要です。そして敵は私たちの内にいるのです。

出発はアイデンティティー

キリスト者のアイデンティティーに立つことから信仰者の成長の歩みが始まります。簡単な道筋を紹介します。

退院して新たな思いで

キリスト者のアイデンティティーを知ることが、キリスト者の歩みの真の出発点。

神を愛するようになる(4)

キリスト者はキリスト者のアイデンティティーを信じると、アイデンティティーが示す人に成長していきます。神の子として成長し、神を愛する人になります。

神を愛するようになる(3)

キリスト者は神の子です。神の子は父なる神を愛します。自分が神の子であると信じたときから、神さまを愛するようになりました。

神を愛するようになる(2)

神を愛するようになった一つのきっかけ。信仰とは神との交わりに生きることと悟ったこと。

神を愛するようになる(1)

信仰に生きるとは、神を愛することです。神を愛するってどういうことでしょうか。神の戒めを守ることが神を愛することらしいです。

律法から解放されたら

キリスト者は律法から解放され、「しなければならない」という考え方から解放されました。神の教えを守らなければならないとは考えません。守りたいと考えるのです。

律法の役割

律法の二つの役割。人を祝福する働き、人に罪を知らせる働きがあります。