クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰者の成長

私は律法から解放された(3)

律法あるいは神の掟は、祝福の手段として、信仰者に与えられました。掟を守ることの中に祝福があります。

私は律法から解放された(2)

(クリスチャンの成長(66)キリストに結ばれて- 24) ローマ 7:4~6ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。・・・・しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律…

私は律法から解放された(1)

キリストに結ばれたキリスト者は律法から解放されています。神の戒めを守らなければならないと考える必要はありません。

私は罪から解放された(4)

罪の捕らわれから解放された先にあるのはキリスト者の自由です。

私は罪から解放された(3)

今回考えるのは、人との関わりにおける罪からの解放です。人との関わりにおける罪も、さまざまな罪があります。色々な罪があると思います。そこで今回も私が体験したことを証しとして書くことにします。

私は罪からの解放された(2)

罪からの解放という時、それは具体的な罪からの解放を意味すると私は考えます。そして解放は具体的な体験です。

私は罪からの解放された(1)

信仰者はキリストにむすばれ、キリストと共に死にました。死んだ人に対して、罪は何の影響力も発揮することはできません。キリスト者は罪から解放されました。

肉の性質・肉の働き

人間は体を持つものとして創造されました。体があることはよい面と悪い面があります。

罪に支配された体の滅び

キリストに結ばれ新しい人になっても、肉の性質が私たちにはあります。この肉の性質のために私たちは罪を犯します。しかしこの肉の働きに、私たちは勝利します。

私と私の心の区別

私と私の心を区別することにより、混乱を避け、聖なる者としての歩みができます。

古い人の幽霊登場?

古い人はキリストと共に死んだのに、まだ生きているように思えるのは、私たちのうちにある肉の性質のためです。

古い人、新しい人(続き)

信じたことは、やがて経験できるようになります。キリストに結ばれたキリスト者は、その古い人が死に、新しい人が生きるようになったことを経験するようになります。

古い人、新しい人

罪に勝利して生きることを考えるとき、罪から解放された者として生きることを考えるとき、考えるべき大切なことが二つあります。第一は、古い人と新しい人の理解。第二は、肉の性質です。

神の御支配の中にあると考える

私が聖書の「救いのモデル」と考える出エジプトの出来事は、示唆に満ちています。

キリストに結び合わされて

私たちは洗礼を受け、キリストに結ばれました。キリストに結ばれたので、キリストに起きたことは私たちにも起きたことになります。

私は罪に対して死んだ

キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

罪の奴隷である人間

行動において、思いにおいて囚われている状態があるなら、それが好ましくなく解決したいと思いながら自分の力で解決できないのなら、それは罪の奴隷状態にあると言えます。

信仰者の敵、悪しき力、勢力が存在している!

聖書で罪は擬人化されて描かれています。つまり人間に罪を犯させる力として描かれています。このような悪しき力が存在しているのです。

クリスチャンはどこで生きるか

罪の領域と御子の支配する領域のどちらで生きるのか。人はどちらかの領域で生きています。

私たちは罪の下にいた

人はみな罪の下にあります。罪の支配下にあるというのです。聖書の人間観です。

クリスチャンは罪の中に生きることができない

パウロは信仰者は「罪の中に生きることはできない」と語ります。挑戦的な言葉です。

クリスチャンは罪に対して死んだ

キリストに結ばれた私たちは死にました。どういうことでしょうか。このことを理解することは救いの大いなる恵みへと私たちを導きます。

クリスチャンの成長(45)キリストに結ばれて-3

キリストに結ばれるってどんなことでしょうか。キリストがいつもわたしと共にいてくださるということ?それ以上のことです

クリスチャンの成長(44)キリストに結ばれて-2

イエス・キリストを信じる人はキリストに結ばれています。もしキリストに結ばれていると考えないと私たちは根無し草の信仰者になってしまいます。

クリスチャンの成長(43)キリストに結ばれて-1

キリストを信じる人はクリスチャンと呼ばれます。クリスチャンであるとは、キリストに結ばれた存在であることを意味します。

クリスチャンの成長(42)罪から解放されて生きる-15

私が説教で時々語るたとえがあります。蛙(かえる)のたとえです。もし皆さんが天国に行った時、そこにいるのはみんな蛙だったらどうするかという話しです。

クリスチャンの成長(41)罪から解放されて生きる-14

私たちの心は、神のみ心に従いたいという心と自分の好きに生きたいという心が戦う戦場です。聖霊は私たちを神のみ心に従うように導き、肉は自分の思い通りに生きるように働きかけます。

クリスチャンの成長(40)罪から解放されて生きる-13

聖書が語「肉」は私たちの性質です。この「肉」が私たちに罪を犯させます。罪との戦いは、この肉との戦いです。

クリスチャンの成長(39)罪から解放されて生きる-12

肉の人とはどんな人か。キリストを信じていない人は皆、肉の人。罪の支配下におかれている。

クリスチャンの成長(38)罪から解放されて生きる-11

悔い改めの実を結ぶことは大切です。自分が犯した罪を犯さないようになること、つまり罪に勝利することは立派な悔い改めの実です。