クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰者の成長

勝利の道は目の前に

罪との戦いに勝利の道が用意されています。必要なのは決断です。

キリスト者は決断をして生きる

信仰者の心の中の戦い。勝利する道は信仰者の決断です。

わたしはなんとみじめな人間なのでしょう

わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

霊に従うか、肉に従うか

キリスト者として生きようとすると葛藤が起きます。神の教えに生きようとする思いとそれに反発する思いが心の中でぶつかるのです。

肉の人と霊の人

キリスト者には肉の人と霊の人がいます。霊の人になることが信仰者の成長を意味します。

罪へ誘う勢力を認めて戦う

罪へと私たちを誘う勢力を認めると、罪との戦いが生じますが、勝利が約束されています。

罪へ誘う勢力を認める

罪との戦いを考える時、私たちに罪を犯すように働きかける力のあることを認めることが大切です。

肉の現れ

キリスト者も肉の業への誘惑の中にいます。肉の業から自由になれない現実があります。

肉とは何か

肉とは生まれながらの人間の性質で罪とは切り離せない者です。

罪との戦いに備える

罪に勝利するために聖霊の助けが必要であり、罪と闘う決心が必要です。そして敵は私たちの内にいるのです。

出発はアイデンティティー

キリスト者のアイデンティティーに立つことから信仰者の成長の歩みが始まります。簡単な道筋を紹介します。

退院して新たな思いで

キリスト者のアイデンティティーを知ることが、キリスト者の歩みの真の出発点。

神を愛するようになる(4)

キリスト者はキリスト者のアイデンティティーを信じると、アイデンティティーが示す人に成長していきます。神の子として成長し、神を愛する人になります。

神を愛するようになる(3)

キリスト者は神の子です。神の子は父なる神を愛します。自分が神の子であると信じたときから、神さまを愛するようになりました。

神を愛するようになる(2)

神を愛するようになった一つのきっかけ。信仰とは神との交わりに生きることと悟ったこと。

神を愛するようになる(1)

信仰に生きるとは、神を愛することです。神を愛するってどういうことでしょうか。神の戒めを守ることが神を愛することらしいです。

律法から解放されたら

キリスト者は律法から解放され、「しなければならない」という考え方から解放されました。神の教えを守らなければならないとは考えません。守りたいと考えるのです。

律法の役割

律法の二つの役割。人を祝福する働き、人に罪を知らせる働きがあります。

私は律法の下にはいない

キリスト者は神の教えを守らなければならないとは考えず、神を愛し、神の心を大切にするので、これに喜んで従おうとします。

私は律法から解放された(3)

律法あるいは神の掟は、祝福の手段として、信仰者に与えられました。掟を守ることの中に祝福があります。

私は律法から解放された(2)

(クリスチャンの成長(66)キリストに結ばれて- 24) ローマ 7:4~6ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。・・・・しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律…

私は律法から解放された(1)

キリストに結ばれたキリスト者は律法から解放されています。神の戒めを守らなければならないと考える必要はありません。

私は罪から解放された(4)

罪の捕らわれから解放された先にあるのはキリスト者の自由です。

私は罪から解放された(3)

今回考えるのは、人との関わりにおける罪からの解放です。人との関わりにおける罪も、さまざまな罪があります。色々な罪があると思います。そこで今回も私が体験したことを証しとして書くことにします。

私は罪からの解放された(2)

罪からの解放という時、それは具体的な罪からの解放を意味すると私は考えます。そして解放は具体的な体験です。

私は罪からの解放された(1)

信仰者はキリストにむすばれ、キリストと共に死にました。死んだ人に対して、罪は何の影響力も発揮することはできません。キリスト者は罪から解放されました。

肉の性質・肉の働き

人間は体を持つものとして創造されました。体があることはよい面と悪い面があります。

罪に支配された体の滅び

キリストに結ばれ新しい人になっても、肉の性質が私たちにはあります。この肉の性質のために私たちは罪を犯します。しかしこの肉の働きに、私たちは勝利します。

私と私の心の区別

私と私の心を区別することにより、混乱を避け、聖なる者としての歩みができます。

古い人の幽霊登場?

古い人はキリストと共に死んだのに、まだ生きているように思えるのは、私たちのうちにある肉の性質のためです。