クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

人生を導かれる神(3)

聖書の言葉、御言葉によって神さまの導きをどのようにして得ることができるのでしょうか。「導いてください」と祈り、聖書を前に置き、適当にぱっとめくった箇所を読めばよいのでしょうか。これは占いのようなもので、よくありません。神さまの導きは占いで…

人生を導かれる神(2)

何かの問題に直面し、色々手を尽くしたけれどもどうにもならなくて最後に神さまにゆだねることにしたという話はよく聞きます。この場合、ゆだねるとは、成り行きに任せるということだと思います。このように語るクリスチャンの数は決して少なくないと思いま…

私の信仰告白・人生を導く神(1)

私は教会の礼拝で使徒信条を毎週告白しています。使徒信条は教理的な信仰の中心を言い表したもので大切なものです。これとは別に私には個人的な信仰告白があります。それを紹介します。 (1)神さまは、私のために最善の人生を用意してくださっている。(2)…

キリストのみ跡に従う

「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(フィリピ3:10~11)。 パウロは、キリスト者の復活をコリント一15章で語っています。私は礼拝で使徒信…

御国を思う(2)

昨日奈良高畑教会の礼拝は子供たちとの合同礼拝でした。礼拝の後、子供たちが紹介され、子供たちのために祈ることが勧められ、牧師が一人一人に手を置いて祝福を祈りました。子供たちとの合同礼拝ということもあって、礼拝の中で「主われを愛す」を賛美しま…

御国を思う(1)

ドイツのトゥルナイゼン牧師の葬儀説教『御手に頼りて』(日本基督教団出版局)の中に色々な聖書箇所が引用されていて、それらの聖書箇所を思いめぐらしたいとの思いが私にはあります。そして最近思いめぐらしたのは、コリントの手紙一の言葉です。これはパ…

他人(ひと)を思う心

今日はキリスト教書店へ行くため大阪まで出かけました。近鉄奈良駅までバスで行きます。電車に乗る前の時間を利用して銀行に行きました。ATMコーナーは7時から開いていますが、9時前だったのでシャッターが降りていて中に入ることはできません。2分ほど待つ…

わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ(3/3)

「わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ」。これは使徒パウロの言葉です。このように語るパウロは、キリストについてこう語ります。 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています…

すみれの香

昨日、歩いて買い物に出かけました。車で行けば10分ほどですが、運動を兼ねて歩くことにしました。ふと見ると、とある家の垣根のところにスミレが咲いています。花を手にとって香りをかぐと、あの香り。私は幸せになりました。この香り、保存できればいいの…

わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ(2)

キリスト・イエスを知る人は、知ることによって自分が変えられるます。自分が変えられてこそ、キリストを知っていると言うことができます。では、私がどのように変えられたのか、振り返ります。 (仕える) 「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、…

わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ(1)

使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙で「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」と語ります。何が素晴らしいのかは語っていません。私にとって、このすばらしさとは何か、いつかきちんと考えなければと思っていました。ピリピ書のデ…

わたしの身に一つのとげが

先週牧師会があり参加しました。神戸にある教会で行われました。牧師会は午後なので、どこかで昼食をとらなければなりません。それで大阪でスパイスカレーを食べることにしました。私は自分でもスパイスカレーを作りたいと考えているので、楽しみに出かけま…

こんどはあなたの番です

昨日の朝日新聞朝刊第一面の「折々のことば」にはドキッとする言葉がありました。 おじいちゃん、おばあちゃんの最後のつとめは、孫や家族に自分が死ぬところを見せることではないか。 私の手元には『恋(れん)ちゃん はじめての看取り』(写真・文 國森康…