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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が語る救いについて(3)神の国を目指す旅に生きる

  前回、「救いは、神が導かれる人生を歩むことである」と書きました。神は私たちをどこへ導こうとされるのでしょうか。これを考えるときヒントになるのは、出エジプトの出来事です。

  • イスラエルの民は奴隷として苦しんでいました。彼らが救いを求めて神に叫んだ結果、彼らは、神により、奴隷状態から救い出されました。
  • イスラエルの民は、彼らを窮地から救い出す神と出会ったのです。
  • その神は彼らに、自由に生きる土地に連れて行くとの約束をなさいました。
  • イスラエルの民は、約束の地に向かって荒野を旅しました。
  • やがてイスラエルの民は約束の地に着き、そこに住み、後に王国を建てました。

 この出エジプトの出来事は一つのモデルです。もし「実体と影」(ヘブル10:1)という言葉を使うなら、出エジプトの出来事は影であり、別に実体があります。影は実体を指し示します。つまりイエス・キリストを信じる人たちにとっての本体です。

 人は色々なきっかけでイエス・キリストを信じるようになり、信仰生活を営みます。洗礼を受ける、それが出発点です。イスラエルの民が約束の地を目指して荒野を歩んだように、キリスト者は神の国を目指してこの世を旅します。

 イスラエルの民が約束の地を目指して荒野を旅したように、信仰者は神の国を目指してこの世を旅するのです。イスラエルの荒野の旅が影なら、キリスト者の神の国を目指す旅が実体です。

 イスラエルにとって荒野の旅は、安楽な旅ではなくしばしば困難を伴いました。しかし常に、そして必ず、神は共にいて助けてくださいました。そこで求められたのは神に信頼し、約束の地を目指して歩むことでした。たとい困難が起きようと神に信頼すれば、神は助けてくださり、そこに神への賛美が生まれました。

 イスラエルの民がエジプトを脱出し旅を続けて、海に面した場所で宿営しました。その時背後からエジプト軍が追ってきました。前は海、後ろはエジプト軍。前門の虎、後門の狼です。窮地に陥ったイスラエルの民でしたが、神は彼らを救い出し、イスラエルの民は神を賛美しました。

 「モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。『主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる』」(出エジプト記15章)。

 私たちキリスト者は、この世を旅します。信仰者の人生は神の国を目指す旅です。私たちは、困難があろうとも神に信頼してこの世を旅します。実際には、迷ったり、不安に陥ったり、疑ったりしますが。でも神の国を目指す旅をしているとき、私たちは救いのなかにおかれているのです。パウロは、このような歩みをする者に「愛、喜び、平和」が伴うことを語っています(ガラテヤ5:22)。また私たちは神を礼拝し、神を賛美して歩みます。

 

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アスファルトの歩道の片隅に咲こうとするスミレ。誰の注目を引くこともなく。