救いを考えるとき、念頭に浮かぶのは出エジプトの出来事です。イスラエルの民は、エジプトで奴隷として苦しんでいました。彼らが助けを求めて叫ぶと神が答えてくださいます。神はモーセを指導者として選び、イスラエルをエジプトから救い出します。神は様々な奇跡を行い、エジプト王がイスラエルの民を解放するように導きます。そしてエジプトを脱出したイスラエルの民は、神が与えると約束した自由に生きることができる土地を目指して旅をします。
ここには二つのポイントがあります。第一に神はイスラエルの民を窮地から救い出す神であるということ。神はご自身を、民を窮地から救い出す神として現されたということです。神はいかなる方か、と言われれば、神は窮地から人を救い出す神であるということです。
第二に、神は救い出した民に自由に生きる土地を用意しておられたということです。神は窮地から救いだした民に、幸いに生きる場を用意しておられるということです。民は窮地から救い出され、新たに救われたものとして生きる場が与えられました。神は窮地から救い出すだけではなく、救い出した後、幸いに生きることができるように導かれるということです。イスラエルの民は自由に生きることができる土地を目指して旅をします。神はイスラエルの民に未来を用意しておられたのです。
しかしその旅には困難が伴いました。困難がイスラエルの民を襲います。イスラエルの民の反応は二つです。一つは、こんな困難に遭うならエジプトにいた方がよかったと考えます。エジプトにいたときは、奴隷として生きることがつらくて神に助けを求めて叫んだのです。なのにエジプトにいたときの方がよかったというのです。そこに戻ろうとさえいうのです。
もう一つの反応は、神に信頼し、神に助けを求め、自由に生きる土地を目指そうとします。神はエジプトにいたとき、大いなる奇跡を行ってイスラエルの民を救いだしてくださったのです。その神に信頼し、この困難も神は助けてくださると信じ、自由に生きる土地を目指そうとします。神が用意しておられる未来を目指すのです。
ここで教えられることは、神は私たちを窮地から救い出される神であること。神はさらに、自由に生きることができる未来を用意しておられることです。その場合、その未来を目指すとき困難が生じるかもしれませんが、神に信頼して前進することが大切となります。自由に生きることができる未来を目指すのか、窮地にいた状態に戻ることを願うのか、です。
聖書が伝える救いとは、神が用意して下さっている未来に生きることです。この未来を選ぶかどうか。神は窮地から私たちを救い出し、救いの神としてご自身を私たちに現される方です。そして私たちに、神が用意しておられる未来に生きるように招かれます。その招きに応じること、それが救われて生きるということです。ここに救いがあります。