クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

訃報を聞いての思い

 先日、先輩牧師の訃報を聞きました。享年95歳とのこと。牧師の働きを隠退してからも精力的に働かれた方でした。

 この先輩牧師が開催するセミナーで学んだことは何回もあり、少なからぬ思い出があります。個人的な親しい交わりはありませんでしたが、セミナーや著書からも学んだ先輩牧師で、出会いを感謝しています。

 「メメントモリ」という言葉があります。人はいつか死ぬことを忘れてはいけない、という意味の言葉です。修道院では、挨拶言葉にもなっていたと言われています。私自身は修道院には行きませんでしたが、メメントモリで生きてきたと思っています。自分が死ぬことをいつも意識しながら、だからこそいかに生きるかを考えてきました。そしてキリストを信じる信仰へと導かれて生きてきました。

 先輩牧師の訃報を聞いて、ふと思いが与えられ、聖書を開きました。

ヨハネ 13:3~14
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

コリント一 8:6
わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。

コリント一 13:8
愛は決して滅びない。

コリント一 13:13
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 「愛は決して滅びない」。この言葉が特に印象に残ります。死とは自分が滅びることでもあるという思いが心にはあるので、滅びないものがあるというのは、励ましになります。

 またキリストが神のもとから来て神のもとに帰るように、私たちも神のもとに帰るという理解も老いた身には励ましになります。

ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)