クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人間って色々

 人間って色んな人がいることを思わせられることがあります。今、『やまない雨はない』(倉嶋厚著)を読んでいます。この方はNHKのお天気ニュースキャスターとして活躍された方で、写真を見て、あ、あの方かと思いました。この方の『花の季節ノート』という本を友人から紹介され、図書館から本を借りて読みました。

 もっとこの方の本を読みたいと思って図書館の蔵書を検索して上記の本を見つけました。奥さんがガンで亡くなり、その後著者はうつ病を病んだそうです。この本は闘病記です。まだ読み終わっていませんが、興味深い言葉がありました。

 彼も彼の妻も人間は死んだら無になると考えていたと書かれていました。作家で東京都知事だった石原慎太郎さんも人間は死んだら無になると考えていると、ある本で語っています。石原氏は亡くなりました。

 倉嶋氏も人間は死んだら無になると考え、生きていました。また無になると考え、自分の死を受け入れておられるように思えました。

 自分は死んだら無になると考えて、平然と日々を生きることができる、そんな人がいることをあらためて知り、人間って色んな人がいることを思いました。私自身は、自分が死んで無になると考えると怖くなり、救いを求めました。そして最後にキリスト教に出会い、神の国に迎えられると信じて平安を得ました。

 牧師の中には、死の恐怖を抱き、救いを求めてキリストを信じ、そして牧師になった人が何人もいます。私もその一人ですが、自分の死をどう迎えるのか、ということは、伝道の一つのきっかけになると思っていましたが、自分の存在が無になると考える人に伝道はむずかしいなと思いました。

 人間が歳を重ねていくとき、人間の死がありふれた出来事であることを否応(いやおう)なく経験していきます。歳を重ね、訃報を聞くうちに、ありふれたこととして自分の死を受け入れるように導かれるとしたら、それは自然の摂理なのかもしれません。歳をとるということは、人それぞれに人生経験を得ることになり、この世の生に次第に未練はなくなってくる面もあります。

 人間って色々だと思わされました。

ノウゼンカズラ 散歩道