私は少年の頃、蝶の採集を趣味としました。採集して標本を作り、標本箱に収めます。それはコレクションとなります。やがて蝶を殺すのに抵抗を感じ、写真を撮るようにしました。若い頃は、時間とお金がなく珍しい蝶をとるために出かけることはありませんでした。
会社員時代、牧師となって50代までは趣味に時間を使うことはありませんでしたが、60代になってスミレが好きになり、写真を撮るために遠くに出かけることをしました。沢山の種類のスミレを見たいと思ったからです。70を過ぎると遠出はしんどくなります。
今は、身近にある草花や木を見て写真を撮ることが趣味となりました。名前を調べるのも楽しみとなります。季節毎に、出会いを楽しむようになりました。どの趣味にしろ、図鑑を買って名前を調べます。何で、名前を調べるようなことが好きなのか、ふと思います。
創世記を読むと神さまは御自分が造った生き物を人の前に連れてきて名前をつけさせたと書かれています。私は名前をつけませんが、名前を調べます。そうすれば相手を知ることになります。自然の中に入り、名前の知った草や木と出会うことが楽しみ、喜びとなります。
信仰を持ったから言えることですが、無意識のうちに私は、神さまが私の名を覚え、私を心に留め、私の存在を喜びとしておられるのではないか、と考えているのかもしれません。だから私も、蝶、花、木の名を調べ覚えることを喜びにしているのかもしれません。