クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

日曜の午後

 私たち(私と妻)には女の子の双子の孫がいます。以前、牧師を引退した後に住む地を探していましたが、娘が双子を妊娠したことが分かり、出産、育児の手伝いが必要なので奈良に住むことにしました。彼女たちが生まれてから今日までその成長を見守ってきました。

 妻は彼女たちのよき友であり「おばあちゃん」と慕われています。私も「おじいちゃん」と呼ばれています。

 私たちには一つの方針があります。それは赤ちゃんに対する時も、ひとりの人格を持った存在として関わるということです。幼くても、その人格を重んじて接するということです。人間的に未熟であっても人格を持っています。一人の人間としての感情をもっています。うれしければ喜び、楽しければ笑い、怒って喧嘩したり、悲しくて泣きます。

 昨日の日曜日礼拝後、妻と私で彼女たちの手を引いて、家に帰りました。母親は教会に用事があるので、帰ってくるまで彼女たちの見守りをしました。幼子は一時もじっとしていません。相手をさせられます。妻は子供に戻ったように彼女たちの相手になります。私はそこまでできなくて、時々相手をします。

 彼女たちは、私たちがそばにいることをとても喜ぶようです。そばにいて見ているだけで、安心なのか二人で遊んだりするときも「そばにいて」と言います。

 私は見守りは妻に任せて先に家に帰ることがあります。昼食の用意をしたり、先に自分だけ昼食を食べ、ゆっくり休みます。でも昨日は「おじいちゃん、先に帰らないで」と言われたので、付き合うことにしました。

 彼女たちがソファーに毛布を敷きました。そこに横になったので、私が毛布を引っ張るとソファーから彼女たちが落ちるのですが、それをキャッキャッと言って喜ぶのです。何度も毛布を引っ張り、喜ぶ孫の姿を見て、一緒にいてあげてよかったと思いました。そのうち疲れたのか二人とも寝てしまいました。できるだけ長く彼女たちの成長を見守りたいと思いました。

サルスベリ 近所の公園で