クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

憂鬱な日々

 この数日、気分が落ち込みました。理由ははっきりしています。私たちが生きているこの社会、この世界が十戒を蹂躙している社会であることを思い、憂うつになりました。

 殺してはならないと神は命じます。しかし戦争が行われています。国家の指導者が戦争を起こします。人命を奪うことをよしとする大義名分が果たしてあるのでしょうか。戦争だから人命が失われるのは仕方がないなどと言うことはできません。

 この日本の社会では、殺人事件がニュースとして報じられるのは日常的です。有名人の不倫はスキャンダルとして時々報じられます。これは氷山の一角です。特殊詐欺で、人をだまし、お金を奪う事件も後を絶ちません。国家の指導者も偽りを平気で語ります。ひどい社会に私たちは生きていることを思います。科学技術は発展し、便利な生活を送ることができるようになりましたが、人間の心は昔も今も変わりません。

 現代人は、神を信じることを拒みます。知性ある人間が神を信じるのは愚かなことと考えます。しかしその知性ある人間が生み出す社会、世界はこの有様です。

 神さまはこのような現実をどう思っているのか、主イエスはどう思われるのだろうか、と考えます。創世記6章によれば、ノアの時代、悪が地上の満ちていました。

創世記 6:5~6
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

 でも今の時代が特別なのではありません。聖書を読めば、いつの時代も、神の戒めが蹂躙される時代であることを知ります。そしてイザヤ、エレミヤなどの預言者は、神に立ち帰ることを訴えました。彼らの働きが実り、人々は悔い改め、神の御心にかなう社会になったとは聖書には書かれていません。きっと終末の時まで、人間社会はこのような状況で推移していくのだと思います。

 問題の根源は、罪です。神の前に罪を犯す人間の営みがこの世界、この社会の現実となります。憂鬱な気分になりながら、神は、そして主イエスは、どんな思いでこの現実をご覧になるのかと想像しています。

立山 2012.8