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隠退牧師 holala によるブログ

天の故郷

 私は地上の生涯を終えたら、神の国に迎えられることを信じます。しかし神の国がどのようなものなのかを聖書はあまり語りません。でも神の国を待ち望む言葉はいくつもあります。信仰者として神の国のイメージを思い描いて、いつの日か神の国に迎えられるのを待ち望みたいと私は考えています。

 創世記にアブラハムという人物が登場します。彼はある時神の声を聞きます。

創世記 12:1~2
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

 言うまでもありませんが、アブラハムの子孫が大いなる国民になるのをアブラハムは見ることができません。そんな彼のことをヘブル書はこう書いています。

ヘブル 11:13
この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。

 子孫が大いなる国民になるのをアブラハムは見ることはできませんが、「はるかにそれを見て喜びの声をあげ」とあるように子孫が大いなる国民になることを信じて喜んだと書かれています。神の約束の実現を信じて喜んだのです。

 私も、神の国に迎えられるという約束を信じます。それは私の死後に実現することであり、世に生きている限り、私も「はるかにそれを見て喜び」たいと思っています。そのためには神の国のイメージを思い描くことは助けになると考えます。

ヘブル 11:16
ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。

 彼らはアブラハムとその子イサク、孫のヤコブを差しますが、天の故郷を熱望していたとあります。神の国は、天の故郷であるというのです。

 私は東京で生まれ育ちました。東京が故郷、ふるさとという感覚はありません。「ふるさと」という唱歌があります。人はふるさとに憧れを持つようです。天の故郷にどのような憧れをもったらいいのでしょうか。故郷は自分の帰るべきところというイメージがあります。神のふところ、天の父、そこが私の帰るところです。

コガンピ 若草山