クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

過ぎ去った日々を覚えて 牧師隠退に至る経緯

詩編 143:5
私は過ぎ去った日々を思い起こし、
あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、
御手の業に思いを巡らします。
(聖書協会共同訳)

 60才後半になって牧師の働きから隠退することを考えるようになりました。隠退など考えず、できる限りは牧師の働きを志す方もおられます。でも私の場合は、年を重ねて務めを続けることにしんどさを感じるようになっていました。特に教会員の葬儀に関わることに肉体的なしんどさを覚えるようになりました。たとえば深夜に亡くなったとの知らせを受けると病院または自宅を訪ねて祈り、それから葬儀屋さんに来てもらって葬儀の打合せをします。打合せが終わって教会に戻ったら夜が明け始めていたということもありました。そして慌ただしくも前夜式、葬儀の準備です。若い時は頑張れたのですが、年をとってくると大変さを覚えます。それで隠退を考えるようになりました。世間的にいえば、60才後半は、定年退職をしている年齢です。

 大学卒業して一度も同窓会に出たことはなかったのですが、どういうわけか一度だけ出ておこうとある時考えて金沢から東京に出かけました。その折りキリスト教書店に立ち寄り、「ミニストリー」という季刊誌を目にし、牧師の隠退を特集していることがわかり、購入しました。それを読んで、70歳になったら隠退をすることを決めました。私は神の導きを感じました。

 これまで一度も行ったことのない同窓会に行くことにし、立ち寄ったキリスト教書店で、隠退を特集する季刊誌に出会ったことは偶然ではなく、隠退していいよとの神さまのメッセージと受けとめました。隠退する予定の一年半前には長老会、教会総会で牧師辞任の件を承認してもらいました。後任の牧師が備えられるように教会全体で祈り始めました。

 隠退後どこに住まいを定めるか、大きな課題でした。妻の母が金沢市内の老人施設で生活していましたので近隣の小松市に転居を考えました。長女が小松に住んでいたのです。転居先を探している時、次女が双子を妊娠したことが分かり、手伝いに行く必要があると判断しました。すると妻の母が、暮れに亡くなり、翌年の4月に次女の住む奈良に転居できました。母を残して金沢を去ることはできないと思っていましたが、母が亡くなったので奈良に転居することができました。

 一連の出来事を振り返る時、神さまの導きの中にあったことを思い、感謝でした。今、奈良に来て8年たちました。牧師のいない教会に説教奉仕をする機会も時々与えられて、これも神さまの導きと感謝する日々を送っています。私の人生を導いてくださった神さまを崇め、たたえます。

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