最近、栄光という言葉に関心が向いています。それで詩篇8編を読みました。詩人は語ります。
詩編8編4~5節
あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
詩人は、神の顧みを受ける人間は何ものなのかと語ります。人はなぜ、神の顧みを受けるのかと不思議に思っています。
そして詩人は語ります。
8:6~7
神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ
御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。
神は人を造り、神によって造られたものをすべて治める権威を人間に与えました。このように人間を顧みられる神。このように顧みられる人間は何ものなのかと詩人は語ります。
新約聖書を読めば、神は私たち一人ひとりを顧みてくださると言ってよいと思います。それなら、「そのあなたが御心に留めてくださるとは/私は何ものなのでしょう」と言うことができると思います。そこで思います。自分はどれほどの神の顧みを受けているのか、と。
信仰を得たこと、伝道者に召されたこと、その務めを30数年近く果たしてきたこと、家族を与えられたこと、数えれば、それぞれが神の顧みを受けていることのしるしです。
同時に、もっと顧みて欲しいな、との思いがあることを告白します。欲張りなのか、神の顧みにまだまだ気づいていないことが多いのか。それは分かりませんが、詩人のように、「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう」と驚きを語ることのできる信仰者になりたいです。
(来週水曜までブログ休みます)