私は1975年のクリスマスに洗礼を受けました。28歳の時です。一年半後、1977年4月に日本聖書神学校に入学しました。夜間の神学校です。入学の動機は、聖書をもっと知りたいとの願いでした。伝道者になる志が与えられていたわけではありません。ただ勉強したかったのです。
夜間の神学校に行くために、会社では配置転換を願い出ました。コンピュータの会社にいた私は、プログラミングの仕事をしていました。かなり残業がありました。そこで神学校に行くために事務部門への配置転換を願い出ました。今思うと会社はよく許してくれたと思います。
1977年2月に見合いをしました。最初に会った日に「僕は将来伝道者になるかも知れない。そうなった場合は、経済的に豊かな生活が送れるとはかぎらない。それがいやなら、話しは断ってください」と別れ際に言いました。そして結婚したのが今の妻です。
伝道者になるべく神学校に行ったわけではありませんが、その可能性は認識していたことになります。もし神学校を卒業して伝道者にならなければ、会社員としての働きを続けることになります。その時は事務方に留まるのか、プログラマーに戻るのか、そんなことは少しも考えていませんでした。先のことは全然考えていなかったのです。神学校4年になる頃には、伝道者になる以外の道は考えられなくなっていました。
洗礼を受けて間もなくの頃だと思います。名古屋に就職した幼友達が主張で東京に来たとき、夜道を歩きながら彼に「牧師になりたいとの願いがあるんだよね。でも人間関係が苦手だから僕には向いていないと思っている。憧れかな」と語ったことを覚えています。忘れっぽい私ですがしっかりと記憶されています。
こうして振り返ってみると、神さまは憧れという形で、牧師になりたいとの願いを与え、それを実現に導いてくださったのだと思います。神さま、感謝します。私を顧み導いてくださるあなたをたたえます。
フィリピ2:13
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。