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隠退牧師 holala によるブログ

自分自身を神に献げる

ローマ 6:13
また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。

 ここに「自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ」とあります。12章1節には、よく知られた言葉があります。

ローマ 12:1
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

 自分自身を献げる、自分の体を献げる、と言葉の違いがあります。この6章の場合は、「自分自身を死者の中から生き返った者として」とあります。自分は死者の中から生き返ったものという認識、自覚が前提となっています。

 そこで我が身を振り返りました。私はどのように、自分が死者の中から生き返ったものと自覚しているか、です。

 自分を死者の中から生き返った者と自覚できることは経験しています。最初は、洗礼がきっかけです。洗礼を受けてキリスト者として生きるようになりました。聖書を読み、祈り、神を礼拝する人間となりました。以前の私はこのようなことは全くしていませんでした。神と無関係に生きていた人間は死んで、神を大切にして生きる人間に私は生き返りました。

 さらに牧師となり説教の準備に努力しました。あることがきっかけで神が生きて働かれる神であると知りました。聖書は神の言葉であると確信し、その時から確信をもって説教できるようになりました。それまでのどこか不安げに説教していた自分が死んで、確信をもって説教する新しい自分に生き返りました。

 さらに私は聖書すなわち神の言葉を自分の思考の土台とする人間になりました。人生の中で培ってきた自分のものの見方、考え方、学んだこと、身につけた知識、経験、思想信条などよりも、まずは聖書はどう言っているか、と聖書をもとに物事を考える人間になりました。

 そしてロマ書の6章13節は、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げなさいとあります。今、あらためて自分自身を神に献げなさいと神が言われてるとしたら、どのような自分が死んで生き返ってどのような自分になり、その自分をどのように献げたらよいのか、と問いが突きつけられたように思いました。

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