クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

新聞で見た言葉

「生きていくよ」。

 これは東日本大震災で津波によって、介護老人保険施設にいる母親を喪った人の言葉。毎年施設跡に行くことはできたが、墓地には行けなかったという。墓地の近くに再建された施設を目にすると「なぜ助けてくれなかったのか」という思いになるとのこと。自身、離婚を経験し、気持ちがふさぐ中、何とか立ち直ることができた。そして8年ぶりに墓参りに行き「地域に恩返しできることを探して生きていくよ」と心の中で母に語りかけた言葉。(朝日新聞3/11夕刊から)。

「自分ばかり生きていてもなあ、ごめんね」。

 防災無線で避難を呼びかけた同僚である友人を津波で亡くした人の言葉。(朝日新聞3/12朝刊から)。

「克服したのにと思っていたのに、私の心は壊れたままだった」。

 太平洋戦争末期、東京大空襲の時。空襲警報がなり、6歳の私は母と一緒に工業高校の地下室に避難した。やがてどんどんと扉をたたく音が聞こえた。「中に入れてください」。母もまわりの大人もだれも扉を開けようとはしなかった。「開けろ!」「入れろ!」。外の声は絶叫に変わり、途絶えた。翌朝外に出ると扉の前に黒コゲの遺体の山があった。仕事に没頭すると恐ろしい記憶を忘れられるような気がした。しかしこの記憶にさいなまれ、戦争や空襲に関係するものを徹底して避けるようにした。それはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の回避症状にそっくりと気づき驚いた。退職後、空襲の経験を徐々に話せるようになり、心の傷をやっといやすことができたと思っていた。テレビでロシアのウクライナ侵攻を伝えるニュースを見ていたとき。地下シェルターで泣いている女の子が映し出された。「あれ、自分がいる」。全身が震え、ひざから崩れるようにへたり込んだ。(朝日新聞3/10朝刊)

 心の傷を抱え、つらい思いをして生きている人たち。

馬酔木(あせび) 馬見丘陵公園