クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

反省

 今日は、教会の祈祷会に参加しました。ルカ福音書のある段落を共に読み、感想を分かち合いました。

 聖書箇所を輪読した後、5分間、各自聖書を思いめぐらしました。私はその時、説教者目線というか、ここから何をメッセージとして読み取ることができるのかという視点で聖書を読みました。そうすると何も感じないというか、何も思い浮かんできません。参加者の話すのを聞きながら、そうだ、聖書の場面に身をおいて、自分が何を感じるのか、思いめぐらすべきだったと反省させられました。

 特に私は、主イエスのことを身近に感じたいと願っているので、その場面に登場する人の立場に立って主イエスを見たらどうなのか、心がけるべきでした。その場面には色々な人が登場します。それぞれの立場に身をおいて想像したらよかったのにと気づきを与えられてよかったです。そして今、聖書を読み直しました。

ルカ 13:10~13
安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。

 イエスが教えておられると、熱心にイエスに聞き入る女性がいました。見ると彼女は、病気のために腰が曲がっています。長い間病気で患っていることを見てとったイエスは教え終わったとき、彼女を呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置きました。すると彼女はいやされ、神を賛美しました。

 イエスは、彼女を見て深い憐れみを覚えたことと思いました。また病気を抱えながらも礼拝に参加する女性の姿にも感銘を受けました。

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