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隠退牧師 holala によるブログ

とっさに嘘が

 受難週に入りました。今日は主イエスが捕らえられ大祭司の家に連れて行かれた場面をルカ福音書で読みました。ルカ福音書では、大祭司の家での裁判とペトロの三回のイエス様否認の物語が分けて語られています。

 たき火に当たりながら人々はイエスについておしゃべりをしていたと思います。ペトロはそのおしゃべりを聞きながらイエス様の方を見ていました。すると大祭司の家の女中が突然「この人も一緒にいました」と言います。ペトロはドキッとしたと思います。不意を突かれ、恐れにとらわれたペトロは、「わたしはあの人を知らない」と口走ってしまいました。嘘をついたわけです。恐れが嘘をつかせたのです。恐れとは恐ろしいものです。

 人は恐れにとらわれ自分を守ろうとしてとっさに嘘をつくことがあります。私も若い頃、牧師になって間もない頃、自分を守るためにとっさに嘘をついたことを思い出します。嘘をついた直後は、嘘をついたとの自覚はありません。あとになって嘘をついたと自覚します。この出来事を忘れることはできません。自分という人間は罪のかたまりだと思いました。しかし罪を告白し、赦しを受けることができることは幸いです。自分をいつまでも責めるようなことはしないですみます。

 三回ペトロがイエスのことを否認した時、鶏が鳴き、イエス様はペトロをじっと見つめました。そしてペトロはイエス様が、自分が三度イエス様のことを否認すると言われたことを思い出し激しく泣きました。

 イエスの眼差しは、ペトロを責める眼差しではないと思います。イエス様はペトロに「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とも語られたのです。人間の弱さを知るイエス様は、ペトロを憐れみの眼差しでご覧になり、立ち直ることを期待されていたのだと思います。

 このイエス様のことをたたえたい、聖書を読んで思いました。讃美歌の136番でイエス様を賛美しました。また今日はバッハのマタイ受難曲を聴きました。この136番の合唱が何回も出てきます。