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隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(66)罪を犯してしまう人間

 旧約聖書に登場するダビデ王。彼は神を信じる敬虔な王でした。名実共に王の地位についたダビデは、ある日、宮殿の屋上から一人の女が水を浴びているのを目に留めました。彼女を宮殿に呼び寄せ、床を共にしました。彼女から子を宿したとの知らせが来るとダビデは策を練ります。戦場にいる彼女の夫を呼び寄せ、家でゆっくりするように命じます。夫のウリヤは、仲間が戦場にいるのに、自分だけ妻と床を共にすることはできないと拒否し、戦場に戻ります。ダビデはウリヤが戦死するように仕向け、戦死させました(サムエル記下11章)。

 ダビデは欲に駆られ人妻と床を共にし、子を宿したと聞くと姦淫の事実がばれないように、彼女の夫を戦死させました。自分を守る保身からの行為です。王という地位にあって高慢になり、欲と保身から、ダビデは姦淫と人殺しの罪を犯しました。

 主イエスの弟子のペトロ。主イエスは弟子たちに「あなたがたは皆、わたしにつまずく」と語りました。主イエスを裏切るだろうと予告したのです。ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、『あなたのことを知らない』などとは決して申しません」と主イエスに語りました。しかし彼は主イエスのことを知らないと三度裏切ったのです(マルコ福音書14章)。

 自分がイエスの仲間であることがばれ、自分も捕らえられて殺されるかも知れないと瞬間的に考え、恐れと保身から、イエスのことを知らないと裏切ったのです。

 アダムの息子のカインとアベル。カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となりました。二人はそれぞれ実りを神に献げました。神はアベルの献げ物に目を留めましたが、カインの献げ物には目を留めませんでした。カインは激しく怒り、弟のアベルを殺しました。自分を顧みない神に対する怒り、その怒りを弟に向けて殺しました。なぜ弟の献げ物だけを顧みるのか、不平等な神への怒り、また弟に対する嫉妬があったかもしれません(創世記4章)。

 人間は自由意志を与えられています。しかし欲、恐れ、保身、プライド、恨み、怒り、嫉妬、怠慢などのために人間は罪を犯してしまうことがあります。人は罪を犯さないで生きることはできないと聖書は語ります。

 使徒パウロは人間の中に「罪が住んでいる」(ローマ7:17,19)という表現をします。あるいは、人間は体を持っていますが、この体を「罪に支配された体」(ローマ6:6)と表現しています。

 この問題を解決しないと罪の奴隷状態、罪の支配から人は解放されません。

エノキの葉の紅葉 散歩道