マルコ 11:22~24
そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
主イエスは教えられました。「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」。これは祈りについての教えですが、神の約束にも通じると私は考えます。神の約束は実現すると信じなさい。そうすればその通りになる。
キリスト者とは神の約束を信じる者です。
ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
キリスト者は永遠の命を与えられる、それは神の約束です。この約束を信じて、キリスト者は地上の生涯を歩みます。私たちキリスト者が地上で信仰生活をする時、実現する神の約束もあります。
コリント一 10:13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
試練に遭う時、神さまは逃れる道を備えてくださるとの約束。試練に遭い、神さまが逃れる道を備えてくださったことをキリスト者は経験しているのではないでしょうか。
フィリピ 4:6~8
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
思い煩う時、神に求めているものを打ち明ける時、神の平和があなたを守る、これも神の約束です。思い悩みに沈み、どうしていいか分からなくなり神に自分の思いを打ち明けた時に平安が与えられ、新たな思いで立ち上がることができたことも、多くのキリスト者が経験しているのではないでしょうか。
キリスト者は神の約束を信じ、その実現を待ち望む存在です。途中で不安や疑いが生じるかもしれません。しかし神の約束を信じ続ける、その信仰を神は喜ばれます。旧約聖書に登場するアブラハムは、途中で不安や疑いを抱きましたが、神の約束を信じ続けた人で、彼は信仰の父と呼ばれました。
キリスト者が罪から解放される、罪の奴隷状態から解放される、これは神の約束です。私たちの罪を赦してくださる慈しみ深い神は、私たちを罪から解放してくださる神です。イエス・キリストの十字架の死と復活、これは罪からの解放を約束しています。